ラクをするための考え方というのは皮下脂肪。勉強は頭のライザップ。

 「なんでコンピュータ将棋の開発者が早指し将棋なんてやるの?それも詰将棋の本なんて読んで。本書いた羽生善治も中2に負けたのに」と言われたんですよね。言いたいことは分かるんですけど、電卓や電子辞書のある世の中でも算盤や公文はまだ残っているじゃないですか。トラックの運転手が休みの日にジムでバーベル持ち上げてるのに「どうしてクレーン車とかフォークリフトでバーベル持ち上げないの?」聞いているのと同じかなって思うんですよ。

実は俺は学校出て小さなゲーム会社で半年くらいバイトした後、中途採用設計事務所に入る前にひたすら家でゴロゴロしてた時期があるんですよ。その頃はウルティマオンラインがあるかないか、ネットゲーはしていなくて、スーファミドラクエIIIを酒場の定員までレベル99にして、命の木の実や力の種で全ステータス255とか999にして、あとは不思議の木の実だけはモンスターが落とさないのでどうしようか、すごろくの景品に出ることがあるから双六やろうか、などと考えていました。

それから脱して、働いてお給料をもらうと何かに使って自分をレベルアップせねばと考えたんですよね。ドラクエって最初はスライム倒して3ゴールドとか経験値4しかもらえないけど、レベルアップするとドラゴンを倒して500ゴールドとか経験値1000と沢山もらえるようになるから、世の中の仕組みもそれと同じで会社勤め頑張って昇給したら何でも楽勝で買えるようになるというドラクエモデルで世の中出来ていると。それはもう、世間知らずだったんですよ。

子供に嫌儲がいたり、憲法に勤労の義務があるのは知ってるんですけど、お金を使って装備を強くしてもドラゴンは出てこないので、というかスライムすらも出てこないので、資本家に雇われてもらえる限られた給料でやりくりせねばならないことが身にしみて分かってくると、お金を大事に取っておく。そんで収入と家計簿を見比べて、そうしてようやくまたバイト辞めた頃と同じで貯金と暇がある状態のレベル39まで来れたのかなと。後悔もありますよ。変なものいっぱい買わされたの全部お金だったら今後働く量がもっと少なくて良いのになとか。

そして、そういう風に頑張って稼いで使って自己投資というサイクルから抜け出した俺は気付くと体に脂肪はつくし、何よりアタマが「ラクしたい」というサイクルになってしまったんですよ。もうドラクエすらする気が起きない。

それは、ただ落ちぶれただけでなく、人と話す代わりにブログを書き溜めたせいで俺のことを知りたい人には長話をするよりブログに案内して「まあ読んでみて」と。将棋も麻雀も自動で遊べるプログラムを組んで「やりたいならそれ相手にやってみて」と人付き合いもコンピュータに託して、そうやって得た結果としての退屈なんですよ。

賢さというのは学生時代は偏差値というというスカラーで評価されるけど、それすらも算数が得意で社会科が苦手な子供と反対に算数が苦手で社会科が得意な子で合計点が同じなら同じ偏差値じゃないですか。さすがに東大主席くらいまでいくと全教科得意だけど、そうなると芸能に疎いとか、科目以外のことはダメですよね。そして偏差値60くらいでも、それぞれの得意分野は多種多様で、俺は学生時代と比べてコンピュータの専門家の道を進んだことで、計算とか記憶は劣化してると思ってる。覚えておきたいことはパソコンやメモを使ってアウトプットしておいて計算は電卓を叩く。そうして、楽をした代わりにもっとプログラミングの勉強に当てたから。

それで、ここいらで頭のライザップをしないとそろそろマズイんじゃないの?と思ったから詰将棋を解きはじめたんですよ。まあ、落とすべき脂肪、鍛えるべき筋肉と同じように忘れたり気にしないようにすること、覚えるべきこと、鍛えるべき演算能力は人によって違うけど、将棋のプログラマーとして生身の将棋に弱いのはかっこ悪いと思う人もいるかもなので、そこ鍛えようかなと。つまりは俺にほんの少し残っている見栄ですよ。


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