惜しまれて死ぬか醜く生きるか

奇しくも小林麻央さんが亡くなった日に豊田真由子さんの醜聞が流されて、科学的には天国も地獄も認められないけど、死んで惜しまれる人と醜く生き残る人を分かりやすく交代に見せられると、己の生き方をどちらに振りたいのか考えなおした。

梨園の妻と世間で呼ばれながら舞台裏の隙間のようなところで暮らすのか、「ああはなりたくないよね」と皆に言われながらお金をしっかり持って贅沢するか。もちろん評判も良くて贅沢もできたらそれに越したことは無いかもだけどさ。

なんとなくだけど、西洋における悪魔メフィストフェレスの「死後の魂と引き換えに望みを叶える」っていう契約は聖書に対する背徳によって何らかの利を得たり欲求を満たしてしまう誘惑それ自体を譬えているのかなと。

俺なんかもう、とっくに死後の魂を色々の悪魔に売り飛ばして、売った後なのにまだあるふりしてまた売ってる罪深い人間なのかもだけど、だけど聖書を読んだりお経を唱えたり神社に賽銭いれて鈴鳴らすこともある。

親鸞は悪人を許すことで人気を取ったわけだから、神も悪魔もいないかもだけどたったの一度でも悪いことした人を見捨てるほど厳しい世の中でもないみたいで、小林麻央さんは帰ってこないけど豊田真由子さんにはまだ未来があるんでしょう。あの人、これからどういう風に生きるんだろうかと。どちらかというと、そっちのほうがテレビで見たい。

だけど、離党したら隠されるんだろうな。そして忘れられていく。