世界はヒトを含むのでヒトひとりが世界を内包的に理解するということはあり得ない

ヒトは世界を理解し得ないが何らかの記憶をするために世界を理解可能な形まで単純化して分類して思考を形作っている。だから、より深い理解をすることでそれ以前の単純化されたモデルを破壊することが誤解を解くということにつながってゆく。

従って深い理解をすると誤解は解けるのだが、より深い理解が出来るかというと分解能が上がった分情報量は増えるので深い理解というのは相対的にそれまでより狭くなる。

その昔に乱読した本に「物理学には若い閃きが必要とされるが生物学なんかは歳を重ねて学習を繰り返すと一定の成果が上がる」と読んだのをどこかで覚えていて、39歳という節目で計算機科学ばっかりやってないで生物でもやったほうが後々面白いかもなと考えるようになった。

それも分子生物学とか、すごそうな事をやるのではなく中学の理科の漫画本を買ってきて誰でも覚えてる師管と道管の役割とか、イネとユリが同じ分類とか、そういうやさしいことをくまなくおさらいしている。

そういうやさしいことを繰り返すうちにどこかで学んだ狭くて深い部分同士がやや単純化されて結びつきを持つようになって「今までこう考えていたけど違うな」という内面の変化を感じるようになってきた。

小学生でも中学生でも勉強すれば草花や昆虫はある程度性質を理解できる。だけど樹木はもう少し難しい。森なんてなおのこと難しい。それなのに林業という仕事はあるわけで、分かる範囲のことの組み合わせで自然をコントロールしていくって事は出来る。

それが何故なのか良く分かると、人間社会とか街なんてものが包括的に理解されうるなんてことは有り得ない。有り得ると思っているのは人間を単純化しているから。

物理はあきらめた。化学は錬金術なんて幻想だったんだと幻滅すると同時に錬金術があれば金の価格が安くなるだけで金持ちになるのは長い歴史から考えて一瞬にあたる数ヶ月とか十数年くらいの一部の人だけで、自分がそうなるとも考えられない。生物はやったところで俺の住む町にはあんまり関係ないかもだけど、計算機科学の知が集結しているシリコンバレーで働くのと田舎に行って土と草花に触れるのどちらが容易いか考えると、生物をおさらいしておくってのは人生の選択肢を広げる効果があるかなと。

まあ、分かるなんて有り得ないというのが真理でも「何でも分かる」という嘘のほうが売れる。大学を目指すのも電子辞書を買うのも、それがあれば何でも分かると考えているからだからな。