子供の頃から将棋をすると本当に賢くなるのか

将棋が強いと頭が強くて勉強にも強いとか、コンピュータを誰もが持っている時代でも算盤が強い方がいいとか、そういうの何かが違う。でも、何が違うんだろうって長いこと分からなかったんだけど。

うちの母親は勉強ができない方で、本や新聞を読まず親父の話には相槌を打つばかりで今考えると何も分かっていなかっただろうなと思うんだけど、まあ、まだ多分生きている。身分証明のために市役所に住民票を取りに行くと母親はまだウチに戸籍がある。

俺が就職して大阪にマンションを買った時に親父は俺の努めている会社の社長が嫌いで「あんなやつのところで働くならウチを出て行け!」と怒鳴られたが、それは翻訳すると「仕事を辞めて家に帰って店を継げ」という意味なのだろうが、親父も爺さんも家が商売なので口をついて出るのが全部逆言葉なんだよな。反対のことを言って怒らせたり困らせたりしたら自分の言うことを聞くと思っているし、カネがあって、家も自分のもので子供にはカネを渡さないことで管理していたものが自分で外で働かれると自分の言いなりには出来ないものだから反対に困っていたのだろう。

それで、親父の言葉通り家を出るのに保証人として母親を選んだわけだが、その時に母親がマンションの値段を見て「家ってこんなに安いの?」と言って驚いた。親父は不動産の仕事もしているというか、爺さんの代からの土地持ちなのだが、家族にはそのことを隠して店を構え、店の売上があると言って母親には家事代を店の給料として出していた。

それで、家の値段がわかった母親は「私ももういいわよあんな人」と言い残して、俺をのぞいた残りの家族を放り出して家のカネを全部盗んで蒸発した。3日くらいしてから姉から母親が帰ってこないから俺の所にいるのではと電話がかかってきて、知らないと返すと俺と姉の二人で探して、どうやらホテルで暮らしていることが分かったが、そのままゴルフか何かで知り合った男と安いアパートを買って暮らし始めたようだ。

俺は自分が家を出たことを俗に言う「独り立ち」なのか反対に単なる「家庭不和」なのか決め兼ねていたが、そういうふうに紋切り型に考える事自体が間違いで、カネを盗んで家を出た母親の生き方も道徳的には許されないが、その道徳というものは真理ではないし、冒頭の将棋の話に戻すと人生は勝った負けたの二者択一でなく、たとえば60手まで生き残ればそれで良いと考えると、攻めても良いし待っても良いし、とりあえず矢倉でも穴熊でも囲っておけば見よう見まねでも結構行ける。

それで嫁に出ていかれた親父の人生も、姉が結婚して孫ができたのでまあ上等だと思っている。では俺の人生はと言うと、まあ道徳的にとか世間体で言うとかなりマズい側面もあるが、まあまあ子供のことにやりたかったことは大抵やった。子供の頃からやりたかったことはな。大人になってそれらしい世間体が欲しいって思うこともあるけどね。

それでも生きてくくらいは何とかなるだろうと思っているから。以前はカネがなくなったら死ぬのとほぼほぼ同じだととかくカネのために働いたが、食っていく分と趣味に使う分のバランス感覚の問題で趣味を仕事にしたいという贅沢が何もかもの歯車を狂わせていたのかもしれない。生きてくだけなら何とかなって、それにどういう楽しみを見出すか、添えていくか。

まあサラリーマンの金銭感覚を一度持つとゲームは子供の小遣いと比べて高価な趣味で親から買ってもらう他無いが、39歳で中間管理職ならゲームは子供にクリスマスに買ってやるもので、それを他の人に自慢するのが楽しいんだろう。39歳でゲーマー現役とか、ちょっとそういう物差しで測っちゃうと鬱屈している感じがするだろうな。

こうして書いているけど、俺が今の考えに至るまでの人生経験を語ったところで他人に理解できるものでも無いと思う。

ふと、小学4年の時に学習塾に入れられて入塾試験を終わった時に「迎えに行くから」と言い残して去った母親が塾まで迎えに来なかったことを思い出した。

財布も小遣いも持っていなくて、カバンには筆記用具だけ。誰も居なくなった塾のビルの前で泣いているところを老夫婦に見つけられて「どうして泣いているの」「家に帰るお金を持っていないんです」と言って300円くらいだったかな、老夫婦からもらって駅の改札を抜けたところで母親が遅れてやって来たんだ。「どうしてお金持っているの?」と聞いてから経緯を話すと「ごめんね、塾の人に時間聞いたらあなた背が大きいから五六年生の人の時間を言われたのよ」などと言い訳ばかりして。

そんなこともあったなぁ。