ドラクエってね、貸し借りするものじゃないんですよ

ドラクエXIが発売されてしばらく経ちます。欲しいです。

しかし、親父と二人の夕食をスーパーまで買いに行って半額で671円。これに発泡酒を開けて晩酌をする生活。貯金はあるとは言え親父がいつまで元気か分かったものではないのに少し辛抱すれば耐えれる新作ゲームに5400円を簡単に払ってよいか。悩みます。DSを出してきてドラクエIXのデータを見たらレベル44でした。ボスを倒すには充分なレベル。しかし、やり込み尽くしたわけでもないレベル。

子供の頃にドラクエを小学校の同級生でひとりだけ持っていて、貸したら返ってこなかった事は過去ログでも触れていますが、借りた人が返したくなくなるのにも理由があります。

ドラクエをはじめとするロールプレイングゲームというジャンルは、ゲームセンターのゲームのようにスタートして、何かして遊んで負けたら終わりで最後まで行っても終わりというような区切りでなく、それこそ何日もかけて少しずつ進めて物語を読み解くゲームです。

主人公がいて、旅の仲間がいて、ゲームを始める時にそれぞれに名前を付けることが出来ます。例えば勇者と戦士は自分と友達で僧侶と魔法使いは女の子にして好きな人の名前を入れるというような、人形遊びのような側面を持っています。

それらのゲームの中の登場人物は物語をすすめていく中で初めは棍棒しか持たない無頼漢でも、旅を進めて棍棒を槍にしてボロ着を上等な服にする。やがて勇者の剣を持ち、鎧兜に身を包んで魔王を討つまで腕前と身なりが育っていきます。

それらは古いものでは「ふっかつのじゅもん」という暗号文をノートに書き写し、またゲームにそれを打ち込むことで前回やめた途中から始めることが出来る仕組みです。そしてドラクエIIIからはカセットの中に電池が入っていて、冒険の記録がカセットひとつに三人分入るようになっています。

子供の頃は俺は自分のことを「僕」と呼んでいましたが、僕の同級生に貸してほしいと頼まれ、ちょっと嫌でしたが記録が3人分入るので2人までなら貸してあげても大丈夫と考えたし、貸してくれないなんてなんてケチンボなんだ、金持ちでいっぱい持ってるくせに!貸してくれないならもう友達の縁を切ってやる!とゆすられたものです。

そうして、いざ貸してみると、きっと西沢くんも自分の冒険の記録が愛おしくなってしまったのでしょう。僕もそうでした。ゲームの中に自分の名前と好きな女の子の名前を入れて、一緒に冒険して、魔王を倒してお城で英雄として讃えられ、また宿屋とか教会とか、お母さんのいる家に戻ったところで冒険を記録しておくと、たとえ終わったゲームと言えど大切な持ち物になるもんです。

だから、カセットは貸したまま返ってこなかった。

それが結局、友達の縁を切るキッカケになってしまったのです。

 

ゲームクリエイターたるもの、ゲームの中でも王様と言えるドラクエの魅力は何なのか語る切り口は色々あれど、堀井雄二の物語が良いという人がいても、俺の場合はどちらかというとすぎやまこういちさんの華やかな街の音楽とその安心感。そして鳥山明のどこか間抜けでちょろく倒せる敵モンスター。怖くないんですよ、ドラクエって。

そんでも、ゲームの立ち上げから変わっていないトリオなんだけど、プログラマーの名前が中村光一さんでなくなったのは残念です。ドラクエ5までは中村光一さんで6からプログラムは委託になっているようですが、なんか中村光一さんの名前が消えてしまったことが自分がプログラマーとして働いて派遣切りという目にに会ったのと繋がって、世知辛さのようなものを感じてしまうんですよね。

 

こんだけドラクエ語らしたら長いのに新作買わないのはどうよって思いますが、自分の中でも好きなのか、失くしたものだから恋しいのか判断を付けかねます。好きなものなら貸してしまったり失くしたりしないはずだ、お前なんてドラクエ好きじゃない友達じゃないというような前のめりのドラクエファンの友達がいて、ドラクエ貸しちゃうようなやつは友達じゃないという価値観や論理には困っているのですが、多分ドラクエXIという新作が出たのに買わないなんてやっぱりドラクエ好きじゃない友達じゃないって言うだろうなと想像すると何だか可笑しくて、ああアイツは良い友達だなと思うのです。


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