XBOXが出た頃は金回りが良かった

今のほうが持ってるけど全部銀行にあって、斜向かいの小谷さんからもらったリッツとレーズンクッキーが久しぶりのおやつという最近の金銭感覚。

XBOXの無印が日本上陸した時に俺は友達にその凄さを説得するために誰の家に遊びに行くときも途中でゲームショップや家電量販店に寄り、XBOXとHALOを持って遊びに行っていた。

そして「ああ、ミヤーンの言うヘイローってバイオハザード系なんやね」とか言われると「バイオハザードはTPSでオリジナル性の高い作品ではないからヘイローをそういう時系列で語るならウルフェンシュタイン3Dとかドュームの系譜でFPSとしての後継であるから、バイオ系とかそういう日本ローカライズな呼び方はしないで欲しいなあ」という面倒なやつだったかもしれない。けど、今のように分かりやすく話をまとめるためにマニア的な知識を隠して素人くさいことを言って場を荒立てることはしないものの、ゲーム機を担いで持っていって見せていたので友達としては当時のほうが面白いやつだったと思うんだ。

ニンテンドー64が出た頃は学生で高校時代からの先輩と遊ぶと社員寮に招かれて狭い部屋でファミコンソフト10本くらいとコンパックのパソコンとドイツ製の首を振らない扇風機だけの部屋で「ロクヨンゼルダ面白いらしいっす」と言うと「俺は今これやってるな」とマーダーデスキル(直訳すると「殺戮、死、殺す」)というエイリアンになって地球人を全部撃ち殺す魂斗羅の主人公と敵をひっくり返して3Dにしたようなゲームを見せてもらって、WASDとマウスの両手操作にびっくりしながら「全部殺したけど次ドコ行くんっすか」「俺も知らないんだよ」などとやっていた。

その先輩にマリオのポール飛び越し界隈の昔ファミコン雑誌で良くあった合成写真か本当かウソテクか際どい話をして「マイナス1面は見たことあります?」と壁埋めから土管に入って水中のバグってる面を見せたら「よし、明日日本橋(大阪)行こう」となって、ジャンクショップでテニスとマリオとファミコンを買い、ついでにスーファミとプレステの小さいやつとガンダムバトルマスター任天堂64とゼルダを買って寮に戻り、テニスとマリオでカセット差し替え系の裏技をネットを見ながら検証して、疲れて寝るまでゲームした。

先輩もそんなに絵が上手かったわけでもない(とは言っても週刊誌のマンガくらいは模写できる)俺もまだそんなにプログラムは組めなかった。「ゲーム作るのってビジュアルベーシックくらい出来たら充分らしいよ?」言われて「そんなわけ無いっすよ!バトルガレッガとかブイビーなんかじゃ絶対作れないっすよ。絶対にC言語アセンブラっす!」と頑張っていた。

まあ、そうは言っても孤軍奮闘でアセンブラで基板から作るわけにも行かないし、ウインドウズ95のVBではバトルガレッガは厳しいかもだけどスペック上がったら遅い言語でも速いゲームは作れるわな。

だから今MacBookProでファミべ的ゲームを作って遊んで、もしファミべのスペックで組むことになったら本当に同じものが作れるか?というテーマでプログラムと向き合ってる。腕試しみたく低スペックのマシンでどれだけやれるかを競うプログラマーのコミュに入ってみたかったんだ。

それはハイスペックマシンでは既に個人でマシンスペックを使い切る競技を考えることすら難しく、マッシブな開発ではリーソース量や並行展開の規模で争うことになり、プログラマー同士の一騎打ちの勝負とは言い難いところが面白くないんだろう。

昔は雑誌を読んで「ほへーん、そんなすごい人いるのねー。うらやましいねー」くらいにしか思ってなかったけど、今の自分で勝てるかなと考えてみて、そろそろ行けそうと思えてきたから、なんかそういうの分かるようになる前のゲームを純粋に遊ぶもの、買ってくるもの、憧れるものとして、先輩の家に泊まりに行ったときが最後だったなと。

XBOX担いで回ってた時はプログラマーの腕とマシンスペックは並び立つものだとも思ってたし。自分で出来ないから買うことが全てだったな。金回りとかでなく。大した金があるわけでもないのになのにゲームばっか買ってたんだ。