物語と、その没入感を高めるためのゲーム

ドラクエが国民的ゲームと思っているのはゲーム機で遊ぶゲーマーだけで、将棋やオセロにトランプに麻雀といういわゆるテーブルゲームで遊ぶ兄弟で育ったものからするとロープレは「ぼっち遊び」でつまらないって考え方もあるよね。

ただし、ゲーム機全般とケータイゲームも入れるとオセロなどの対戦型テーブルゲームよりデジタルゲームのほうが人口の多さで言うと圧勝になる今の時代。ドラクエはその代表というよりかは40代くらいの子供の頃にファミコンでぼっち遊びを体験した世代の共通言語としての意味もある。なにせマリオやテトリスは言葉にして語られることはないが、ファミコンドラクエは画面に文字が出るので「スライムつむりはようすをみている」とか「かいしんのいちげき!」などを読み上げると「こいつ、それ遊んだな」と分かるし、もともと両方がドラクエというぼっち属性を分け合っているのだから仲間意識を生みやすい。

英語が中学生からって時代に育ったせいか、中学生で英語を覚えると洋モノ移植やファイナルファンタジーカタカナ語の意味がちゃんと分かって、そっちのほうがカッコイイと惹かれる部分もあったけど、ドラクエウィザードリィの「クリティカルヒット」を「かいしんのいちげき」に訳したところが日本語とゲームの両面に深い知識があることの表れだ。ウィザードリィの日本語版ではクリティカルは「くびをはねた」で残酷すぎるし、サイコロで攻撃の威力が左右されるゲームの中で毎回戦う中で「自分でも上手く行ったと思う」ということを「会心の」という表現することは子供には出来ない。小学校低学年だった俺は親父に「かいしんってどういうこと?」と親父に聞いて、親父が嬉しそうに「自分でも上手いこと行った!と思うことやで」と教えてもらうことが出来た。だから、いくらゲーム業界で偉い先生が凄そうに語っていても「かいしんのいちげき」の「会心」がタイプミスだろうと「改心」とかになっていると興ざめする。

まあ、俺のブログもだだっと書いているから誤字とか文脈のおかしさはあるけどな。会心間違うか?と思うとかなりの減点。

そんで、タイトルに話題を戻すと、ロープレってのは野菜を食べない子供にお母さんがハンバーグに野菜を混ぜて食べさせるように、ゲームという甘い誘いに乗せて子供に文字を読ませる知育玩具的な側面があると思うんだよね。

そういう意味では堀井褒めというのは小学生でも「くびをはねた」が残酷で「かいしんのいちげき」が大人な言い回しであることを理解して、俺の場合は親父が言葉をよく知っていたのが幸いだった。ただし、その点に絞ってドラクエを褒めているが、ウィザードリィも「くびをはねた」は滅多に作れない最高の職業「NINJA」の特権で、普通の職業で「ATTACK」を選んでも「きりかかった」「はげしくついた」などと文章がランダムで変わる。この文章とサイコロ目の相関関係などはさておき、それを繰り返し読んで、やがてゲームの戦局に影響するダメージの数値だけを見て文章は読み飛ばすようになったな。だから結果そうなってロープレの戦闘は数字のシーソーだと後から決めてしまうんだけど、よくよく掘り返すと文章生成プログラムの側面もあるんだよね。

そう考えるとゲームを作る時に根本として「点取りゲーム」であると出発してしまうのは偏っている感じがするよな。子供の頃にお母さんがハンバーグに野菜を入れてくれたのにハンバーグが好きで大人になったらステーキ食ってるみたいなさ。

物語よ、お前はどこから来てどこへ行った?まあ、今のゲームは戦闘を文章で回すのでなくキャラの動きや成否のアニメ効果で示すので文章力よりアニメ絵の上手さで決まってるからな。文字に触れることだけが子供にとって良いことと判じるのも偏見だから、もし親御さんがこれを読んでも「うちの子もロープレさせたほうがいいかしら」なんて思う必要は無いかもですよ。

ゲームで文字を読ませるには先ず文字より簡単な数字のゲームで勝たせ喜ばせてゲームを好きにさせてゲームという誘いに載せたロープレゲームに誘導するという二段構えが必要なので親御さんが読書好きで子供が真似して読むなんて状況に比べたらいくらゲームで釣っても「これ面白くない」とポイッとする子供もいるわけで。

だからやっぱりドラクエってやつはゲームとして認知されているけど、本質は見るもの読むものなんですよね。