何故オタはネルシャツにGTホーキンズの登山靴なのか

自分のカネで自分の服を買うようになってから、サブカル的な新しい意味でのオタクでなく少し古い蔑称としてのオタクが何故そんなに下げずまれていたか考えた。それは一億総中流でテレビやビデオが高級家電であった時代に機器類には恵まれて学問も出来るのに、服は母親から買い与えられたものだとひと目で分かる母親から愛されず父親が機械好きというステレオタイプに面白いほどハマっている存在だったからなんだよね。

俺は人をタイプ分けするのが嫌いだと以前書いたことがあるけど、だけど自分の父と母があまりにも社会の類型にピタリとハマり、自分がその影響でなりたくない形の類型に押し込まれようと他者からの圧力を感じて必死に反発した経験があるんよね。

何故ネルシャツに登山靴なのかというと、ファッションにはフォーマルとカジュアルがあり、百貨店のような高級店とスーパーの安い服があって、母親が本人のために百貨店で高い服を買うのに息子にはスーパーで安い服を買って与えている。その安い服が安いゆえんは定量的に生産された服からフォーマルの上物とカジュアルの上物が売れ、売れ残りからドキュンが着ているボタンのないジャージとは違って一応襟やボタンがある上等そうな服を選んでいるのだけれど、そもそもが野外活動用の特殊な用途の服であり、ニーズがなく余っているので品質の割に安く売られているのが防寒具のネルシャツと登山靴のGTホーキンズなんだよな。

だけど、最近では俺はそういう安物買いを楽しんでいる。ジャージを着ているとドキュンでネルシャツを着ているとオタクなら、ネルシャツの上にパーカーを羽織ればどうだとバーゲン前に色目の良いものを選んで、それを着て心斎橋のアメ村あたりを歩くと新しいファッションとして認識されて、真似するやつが出てきて、流行った暁には百貨店の紳士服に何万円もする上等のパーカーが並んでいるのを見て、買う人を見て、バカだなぁと少しの優越感にひたれたからだ。

そういう風に子供は最初は親の所得の問題で何らかの類型にハマっている場合もあるけど、やがて自分で経済活動をはじめると差別化のためのファッションと都会志向とか仲間意識から来る同化のためのファッションを選び始めて、あるものは新しいコミュに入るために変装のためのファションを選択することも出来る。

だから、子供の頃に着せられたものに馴染み、良い年になってお金も持っているのに上等を買わず、内向的な趣味にお金を使って母親に与えられてものと同じような服装を自分のキャラだと自分で囲いにこもって何処で服を買えばよいか分からないオタクが電気製品を買いに梅田のヨドバシカメラに行くと同じビルにコムサデモードがあるのでコムサの黒服を着ているのが実は成人したオタクであるというタイプ分けの目線を持っているんだけど、まあでも日本には服屋さんも増えたし最近じゃオタクの聖地大阪日本橋にまでコスプレ系やオタクのネルシャツがファッションのひとつの形態とみなされてオタク的シャツを専門に取り扱う服屋さんも出来たので、そろそろこの話題はもういいよね。