時計のチクタクを聴きながらコーヒーを入れて羊羹を食う

昨日はフォルツァというレースゲームにハマって。

面白いんだけど、フラストレーション(鬱憤/ウップン)も溜まる。思うように行かないで、じゃあ上手く行ったら爽快なのかというとそうでもない。そうすると今日はゲーム何をしよっかなとなったときにフォルツァじゃ短い時間で満足できずに鬱憤を溜めて終わるかもだからギアーズオブウォーでマシンガンをぶっ放そうかと思ったけど。

なんか違う。

テレビを消して窓を少し開けて冷たい風が吹く部屋の中でホットコーヒーを淹れて小さな羊羹を食って「ほへーん」としていると、別に今日はゲームしなくて良いんじゃね?となった。

なんか以前は「何かしなくちゃ」といつも生き急いでいた。たとえゲームでも、しなくちゃと。そしてモノの考え方の根本にお金の問題が潜んでいた。ゲームをすることはお金にはならないと思うかもだけど、まず何でも良いからお金になる仕事をしてゲーセンで遊ぶか新しいゲームを買うかしなきゃって思ってた。ゲームが役立たないって思われるのが嫌で、お金が動いたら支出でも収入でも経済を動かしていることになるから社会に役立っているんだという考え方をして。でも、それはゲームを社会悪として排斥しようとする外圧からの自衛だったんだよな。その時はその時でその言い訳は必要だった。

いまはそれがない。

だから、遊ぶことは自由だけど、そうなって初めて無理に遊ぼうとしなくても良いんじゃねって思えるようになったんだ。せっかく買ったのに、みたいのも気にせずに。