そうあり続けることを拒む自分がいた

 プログラマーになりたいと思い始めたのは子供の頃の何時だったかはっきり覚えていないけど、なってみて「そうあり続けること」を拒む自分がいる。ギターだってそうだし、将棋だってそうだ。ギターも自在に弾けるようになるとレコードを買うカネが浮きそうだとか、将棋をやると頭に良いとか、副次的な手段としてドラクエで言うと「取り敢えずレベル上げしとけば後がラクでしょ」みたいな感覚。

だけど俺には王様も竜王もローラ姫もいない。無目的でも鍛錬しておくことが何となく好きだからそうしていて、ウィザードリィなんかはワードナを倒した後もダンジョンに潜ってカシナートの剣やムラマサを何本も集めて蓄財していた。

たぶんだけど、蓄財したいんだろうな。お金があると出来ることが増える。日蓮は「倉の財より身の財」と説いたそうだが、俺は両方あると安心だと思う。旅よりも家のほうが好きだ。10代は学校の夏期講習をサボって夏休みの旅に出たりしたけどさ。

んでまあ、俺の目的は蓄財と分かる前にキルケゴールにたどり着いた。商人の子、子供の頃に厳しく勉強させられた、親が実は悪いと知る、自責の念に苛まれて恋人と別れる、別れてから大切に思う。ありふれてるけど、似てるとこあるな。

俺の目的はたぶん何もしないこと。何かするのは「そうしておけばいつか何もしなくて良くなるから」なんだよな。これがしてたい、やり続けていたいてのが見つからない。

キルケゴールは「一生やりたい事」を持つことが実存だと説いた。

それは俺の持ってる哲学の本の中盤あたりなので、近代思想ってのはもっとあるんだろう。最初は何のことかさっぱり分からないで読んだけど、自分なりに生きてきてやっとキルケゴールまで来たんだなと。

ブログだけはずっと書いてるな。キルケゴールは昔の恋人に著作権を全部渡して死んだらしいけど、それも悲しい生き方やで。

なんか「世界の中心で、愛をさけぶ」が死んだ恋人と別れて新しい恋にみたいなあらすじで映画見てみたいけど2時間は今ちょっとだるいわ。dTVで観ようとして広告の「秒速5センチメートル」も面白そうだった。

よし、鬱展開からは抜け出した。稼いだ分を全部使う労働と消費のサイクルからは抜け出したけど、支出を押さえたらやりがいがなくなって仕事減らしたんだよな。その分楽になって考える時間も増えた。頼まれたプログラムを考えてるのと自分の生き方に向き合うのとでは考えてることがまるで違うから、考えてる時間としては減ってるかもだけど、何も考えないでおくことなんて人間出来ないんだから、寝ても覚めても24時間考える中で、着実に誰かのためとか何かのためじゃなくて自分のために考える。

その自分ってやつと向き合うのが哲学で、それが一番好きな科目だったじゃないか。