カジノって公衆便所みたいなものじゃないかな

 生きる意味を考えてた。持論として「人間が生きているのは両親が結婚したからであって、すべからく自身の生きる目的は結婚して子を残すこと」というのがある。ではそれ以外の生命活動は無意味かというと、芸術のようなものでも生を全うしている人間が目的を見失い自殺してしまう事を防ぐ宗教のような役割があり、騙されて「自分は芸術のために生きている」と思うことで生きることを続けるのであればやはり子を残す役に立っていると捉えることも出来る。

しかし、解剖学的に生殖系が人間の神経系統を全て支配しているわけではないので、生まれて育った人が何を思って生きているかというのは人の勝手だと捉えるほうが自然だ。芸術のために生きているのだと本人が思ってそれで営みを続けるのであれば、その人は回り回って子孫繁栄の役に立っているかどうかはさておき、芸術のために生きているのであろう。

そういう目線で社会を捉え直すとギャンブルのために生きている人は多い。本当はギャンブルで勝って勝者になることを夢見ているのかもしれないが、当面の問題としてはギャンブルを手段としているので目先ギャンブルのために生きている。必要か不必要かは簡単には議論できない。既にあるものだから。

しかし住宅地にパチンコ屋が新装開店するとなると善良な市民は反対する。ギャンブル場が出来ると治安が悪くなると考えているからだ。

これに対する反論として、俺はギャンブル場は公衆便所みたいなもんじゃないかと思っている。充分な暮らしが合って、家にプレステでもあればギャンブル場は不要かもしれない。だが、然るべき場所がないなら生きる目的を見失った人間が反社会的行動に快楽を見出して犯罪に手を染める可能性だってあるわけで、目的なく生きる人に与える営みとしてのギャンブルが治安を悪くしているのではなく、良くしているとも捉えられる。

確かに家のそばに公衆便所を建てられると不衛生になるかもしれないが、無かったら軒先にうんこをされる事案が発生するかもしれないとは考えられないか。