3000人にひとり

麻雀ゲームの作者として麻雀のプログラムの本は買っておこうと思い、1冊持っているのですが自作のゲームを作るにあたり参考になる部分は少なく、しかしその本を持っているがゆえに「その本を見て作っただけでしょ?」と思われるというデメリットが。

言葉というのは非力なもので、本を見て作ったと思っている人に「違うよ」と言ったら「ウソをついている」と思われて、では反対に「そうだよ。本を見て作ったんだよ」というと「そうなんだ」と思われる。相手の思っていることをひっくり返すには言葉だけでは少し方法としてマズいわけだ。

それで麻雀ゲームをオープンソース化しようかと考えたけど、グラディウスオープンソースのクローンを取った人はブログ1万PVで3人。3000人にひとりだ。だから麻雀ゲームをオープンソースにすることで「これは本と違う」と分かる人は3000人にひとりくらいしかおらず、その割に分かる人にはノウハウを無償で提供することになるのでデメリットを考えると踏み切れない。

ソースコードを読んでプログラムの挙動が想像できるとか、改変して自分のものに出来るという人がどのくらいいる、どのくらいの分量なら出来るということを考えていくと、おおよそ同業者で自分よりレベルの高い人にしか自分のことは分かってもらえない。同じレベルなら分野の違うプログラムはこういう風なんだなとおぼろげに分かる程度であるから、俺が20代で書いたプログラムは勤め先の課長の手柄になったし、反対に40代に近づくとちょっと難しい部分の仕事をするだけで簡単だけど量があって面倒な部分は若い人がやってくれて全部自分の手柄になってしまうという事案もある。

それは悪い話ではないのだが、若い頃は頑張っていたし、人の手柄を横取りしていると思われるのもどうよ、会社って若い間は上司の手柄で出世すると部下の仕事が自分の手柄で、じゃあいっそ全部本人の手柄にするのと帳尻が合うのか、それとも合わないのかって考えると、ネットに関しては課外活動として自分で作ったものだけをアップしているのでネットでしか俺のことを知らない人にはヘボく見えるというのがもどかしく、それを払拭すべく作ったのが麻雀ゲームで、それを「本見ただけでしょ?」と思われてしまうのは不本意なんだよ。

もともと、理解者は職場にしかいない。家族は俺の仕事に理解がないし、俺も働いていない期間も長いので収入が評価だと思うしか無く、飲み歩いたりしてみると店の人には「どうしてあんな奴が金持ってるんだ?」と勘ぐられるばかりでカネを見せたら評価につながるというものでもないから、言葉が非力なのと同じように現金も使い方をわきまえないと無駄遣いになる。ギターの稽古なんてしてみるとカネに非力を感じる。

まあ、いいや。書いたら幾分はスッキリしたから、それでも誤解され続けるなら、それはもう俺のせいではなくその人のせいなんだよ。人が自分の思った通りのリアクションをすることに慣れているってのはちょっと異常なのかもしれないからな。

「悪名は無名にまさる」ってのは選挙が仕事の政治家の言葉であって、ネットで何かやっていたら叩かれるよか「いつか売れたいな」って夢を持って回らないカウンタを毎日チェックするほうが健全なんだよ。そう思って続けよう。