ビジュアルベーシックは日本語情報が豊富なのが強みだが

GitHubにブチ込んで読んで欲しい人が開いたら英語だからすぐ閉じたという事案が発生してしまうようだ。

自分の中にも「ナメられないように突き放したい」「勉強して上のレベルの人と話せるようにする」という上向きのベクトルと「誰でも良いから手伝って欲しい」「理解して欲しい」「ナメられてもいいからやさしく噛み砕く」という下向きのベクトルがあって、両者は自分の領分を違う方向に引っ張って自我を膨張させていっている感覚がちょっとあるのだが。最近無駄なことをやめて縮小傾向にある。

昔のプログラマーは儲かったらしくスポーツカーを買ったというような話はよく聞いたが、結局ひとりの人間に金を集めても何に使うかの問題を間違うとカネの意味がない。だいたいまっとうな人は資本金にして会社を起こし従業員を食わせる。飲み歩くオッサンも立ち飲み屋を分散的に雇っているようなものだ。雇用とはちょっと違うかもだけど。

久しぶりに珍しく仕事らしい仕事をしたが成果は出なかった。パソコンの中身を整理して仕事用に特化して趣味色を減らしたが、どうも反対のことをやっている気がする。趣味色を増やして文化的なコンピュータにするのが最近の「普通の使い方」だからな。その考え方はまだ新し過ぎるんだろうか。

とかく、買い換えるカネを惜しんでパソコンの内部ファイルの最適化をして容量を頑張って開けるというようなやりくりの延長に開発職への道は開けている。自分には関係ないものがいらないもので、壊れない程度にシステムとか付属アプリを減らして自分の好きなものでいっぱいのパソコンを作ることと容量制限のあるハードでゲームを作ることは工程として似ていないだろうか。

ウインドウズはかなり詳しいがマックとかアンドロイドはまだ知らない部分がある。だけどドックにコンソール載せてる時点でな。シエラにするとファイルをクラウド化出来るらしいので、この先は壊れないように上手に使って容量確保してアップグレードしたら当面の買い替え需要である容量の問題がクリアできるから無駄な出費が減る。

ゲームを自分で作るためにパソコンをハイスペックに買い換えるというのはスーパーで魚を買うのと釣り道具一式を揃えて早朝登山する違いのように、市販品を買ったほうが安価で美味しいのだが、趣味人にしか分からない味わいが多分あるのだろう。俺のゲームがそうだからな。

ところでカプエス2のスタッフロールを見ているとプログラマーに「tencho」という名前があることに最近になって気づいた。バイト店長を2年やってから学校に行ったので2年下の同期にからかわれて、あだ名は「店長」だったな。これは「カール爺さんと空飛ぶ家」の監督がcarmenであるのと同じで俺が関わったわけではないが、天からの贈り物として受け止めておく。てか、KYOSUKEも画面に出て戦っているからな。