誰もが情報を発信できる時代の心構え

信用される人間になるというのはどういうことか。嘘をついてはいけないというのは嘘である。まず本当のことを言い、相手に「この人の言うことは本当だ」と思わせることで嘘が効力を持つようにするために信用を勝ち取るのである。

これは、単純な考え方をしている人が「この人は正直か、あるいは嘘つきか」と人を嘘しか言わない人と本当しか言わない人に分類して真偽の判断をしようとしていることを逆手に取っている。

まあ、俺にどの程度信用があるかは分からないが、子供の頃に簡単な嘘をついてしまってそれがバレて「嘘つきだ」「ホラ吹きだ」などと近所に吹聴されてしまった。それで、20歳で情報処理技術者の国家試験に合格して大阪で働いて、帰ってきても街の人は変わらずに「あの子は嘘つきだ」と思っているものだから土産話や何かにも全く耳を貸さない。

それでも、働いていたのでそれなりにカネは持っているわけで、寂れた商店街ではなくコンビニでモノを買う。それがとても特別なことに映るようだ。なぜなら商店街は商人の町であり、スーパーに行けば98円で売っているカップラーメンをコンビニで148円で買って、何故かと問われると「スーパーでレジに並ぶ時間が惜しいから」などと言うと「そんなちょっとの時間、変わらないじゃないか」と言い、勘ぐり、もしかしてコンビニの土地は実は俺の土地でフランチャイズしているのではと疑ったりするようだ。

商店街に古くから入っている店にも土地持ちの世を忍ぶ仮の姿としての寂れた店と大和郡山の駅前商店街に稼ぎに来ている賃貸テナントがあり、組合を通して以外の近所付き合いは商売なものだから隠し合いが通例である。誰がどの土地を持っていてどこに貸しているかなどは表面的には秘密であり、遠くから賃貸で来ている人も新参者になめられないように昔から店を構えて商売をしているフリをしているから賃貸であることを隠す。たいへん付き合いにくい。

そんな中で暮らしていて思うことは「この人は正直か」「この人は嘘つきか」などと単純に二分化せず、誰しもが本当も嘘も使い分ける器用な人間であり「今言っていることは本当か」ということを逐一に考えながら、全ての言葉を吟味しなければならない。

この構えはネットで情報を仕入れる時でも同じように役に立つ。あるいは検索して出てくる情報は嘘かもしれないが、どんな人が何のためについた嘘なのかということまで考えると、少しずつ狙いが見えてくる。「狙いが見えた」まで言うと大げさな嘘だが。