人生の意味を考えながら膏薬の如く理屈を付ける

百人一首を読んで今更ながらに去年テレビでやってた映画名探偵コナン「から紅のラブレター」て下の句だったのねと。なんか思ったことを言ったら「感情的で論理性のない話だ」と言われても「物思へ」で解決すると思うんです。

現代文って日本文字で示される英語的な哲学に基づいてるので、たとえば「人生の意味って何だろう?」みたいな漠然とした疑問があるとしても、意味ってのは解釈だから自分の人生は他人から、特に後世の人から見て何か特筆すべき点が見出されるのか、みたいなところが落としどころだと思うんですよね。聖書の「ソロモンはダビデの子」のあとに誰だったか「子を持たずに死んだ」で終わる人いるじゃないですか。

俺もそろそろそういう心配しないとこのまま結婚せずに死ぬのかなーと考えることあるんですけど、子供出来たら出来たでおぶって色々のところに連れて行くのは腕が疲れそうだし、かといって嫁さん任せだと嫁さんも可愛そうだし俺の母親が出ていったみたいに自分の老後も結局寂しくなるかもだしと、日々ブログに書く以上にどうでもいい心配を無数にしてから今のままでいいやに落ち着いたりすんですよね。

そんで今日はもういっそ子供なんて持たずに子供を産めなくなった歳の女性と結婚するという選択肢も人生として有り得るなと。昨日までは結婚の意味は子作りにあって自分の種を残してこそ我が人生という。人生とは結婚、出産、子供の結婚、子供の出産、孫の結婚の永久ループであり意味というのはその過程で人間が獲得した知性の見せる幻想で、太陽消滅で滅ぶか人間が異次元的な意味を超えた知性を獲得するとかがループから抜けるまたはループが終わるシナリオだと思ってたんですけど。

まあ、俺の40歳までの人生って見る人ごとに色々の解釈ができる程度に色々の体験を通して人と干渉はしてきてるんですけどね。まだまだ、若しくはまだしばらくは俺の人生も続くので、今までをどう意味づけるかではなくこれからを考えていきたいです。

誰かでかい夢を持っている人を見つけて協力するとか、脇役でも自分の意味を尊重してくれるような出会いとかあったらいいなあ。探してるフリをしながら本当は探されたい。