今日のカプエス2(ブロッキングのテリー・八神庵・リュウ)

家でゲームが出きる幸せを噛み締めている今日このごろです。
f:id:karmen:20180522084412j:plain 昨日から「勝つ」という言葉の意味を考えてました。誰かと競って「まさる」という意味と、何かを克服する「かつ」もどちらも含むのが勝つという言葉で、どちらかというと内因的な自分と向かい合っての向上心を満たすことがゲームに打ち込む意味かなと。もちろん誰かにまさるとか、それに伴う社会評価の向上で得られる生活の向上がいらないわけではないけど、もともとゲームにそんなものは無かったわけで「ゲームに勝って何になる?」という負け惜しみに勝つためにゲームをスポーツ化させて実証としてのプロゲーマー制度や賞金大会を仕込むことで「ゲームに勝つってすごいことだ!」と思わせたいっての、元を正せばゲームに勝つことそれ自体には意味が無いからですよね。
しかし、社会的意義はよそから与えてやらないと元々ゲームにそれが備わっているわけではないものの、内向的な意味はすごくあるんです。それは映像的な意味ならビデオ見てるのと変わらないんですが、自分で動かしている感覚を得てその結果を向上させるという意味。その内向的な「克つ」をもっと掘り下げていこうかなと。いやね、相手がいてくれて競って「勝つ」ほうが分かりやすいのは分かるんですけど、それとて第三者的には誰か負け役を取っ捕まえて勝ったことにしているのか、本当に競って勝っているのかは当人同士にしか分からないし、そのふたりとて各々勝った負けたをどう思っているかは分からないものなんですよ。
勝負で勝ってもキャラ差や何だといちゃもんをつけて自分のほうが勝っていると言いたい人を捕まえて、キャラを交換して勝って見せて「納得しろ」とか「負けを認めろ」てのは結局は人が弁を振るわないようにルールの中に押し込もうとする行為で、それはそれでゲームの勝負以上に奥深くキリがない世界なんですが、恐らくそれって求めているものは対人関係の改善なんですよね。ゲームが先ず有るわけでなく、得意先の部長さんとゴルフをして勝つやつはいないわけで、それとは反対にコイツ相手なら口喧嘩とか殴り合いで勝てそうだと思う相手だからゲームが終わってから絡んで言い負かそうとゲームをそれがその中の勝負で決するものではなくケンカの口火にしようとしているだけなんですよ。
だからゲーセンで勝つには、ある程度の体格とか口喧嘩のパターンとか、フィジカルな強さが必要なんですよ。そういう意味ではカプエス2で俺が中学生の頃から付き合っていた悪い仲間の人間関係で、麻雀に誘われたりタバコを勧められたりした年上のグループがゲーセンで絡むのをやめて俺を見つけたら帰るようになるなるくらいまで成ったんですよね。
そうなると相手が居ないので、東京に出るしか無い。けど、ゲームの相手をしてもらうために東京に出るとなると、経済的にはちょっと勝てる算段が無いんですよ。交通費とか滞在費とかゲーム代を差し引いて、それでも東京に行きたいって思うほど入れ込んでるわけでもなく。過去にはウメハラの噂を聞きつけて東京に遠征行ったりしたもんですけどね。そんなカネと暇あったらぷらそにかの路上ライブのために東京に行ってみたい。ぷらそにかって何だ?
ようするに、放って置かれているんですよね。カプエス2のあと、俺はバーチャファイター4に行ったんですけど、カプエス2をやっていたグループからPSPでモンハンに行こうってなったグループからそっとその事を隠されて、ひとりで格闘ゲームをやり続けてバーチャファイターや鉄拳では全然違う付き合いになって、ある日にマジックザギャザリングで昔に遊んだ仲間から、あの時の人達みんなモンハンやってるみたいだよ?って教えてもらって、その人とモンハンPSP3rdを一緒に買ってしばらくやったんですけど、それもだんだん仲が悪くなって。
そんでまあ、最近はコンピュータとひとりで遊ぶのに慣れてるんですけど、ふと昔の付き合いから「ミヤザワさんリュウじゃなかったでしたっけ?」と言われて、何故リュウでなくなったかを語るよりはリュウでもやってみれば良いのかなと。何者にも勝つとか言って、誰も相手が居なくなるまでやってからひとりの寂しさに勝ち始めたらそれってもう仏道修行に近いんじゃと空海のウィキを読んだりしてたんですけど、リュウって元々そういう求道者キャラだから、丁度いいかも。
今日の話はおしまい。