ストリートファイターを「やらされている」人々

ゲームクリエイター」対「ファミコン好きな子供」の時代に育った俺ですが、ゲームセンターのストリートファイターIIの何が面白いってゲームの中のキャラを互いに操って人対人で「勝てる」からなんですよね。それ以前には「ファミコンを買ってもらった子」と「もっと高いパソコンを買ってもらえた子」でパソコン自慢に負けていたので、ファミコン好きがゲームで対決してパソコンの子を負かせるのが何より痛快だったわけです。
しかし、ファミコンランドやおもちゃ屋で勝ち負けを競っていた同級生がみんな負けを認めてからも俺はストリートファイターから離れられず、ゲームセンターで見ず知らずの人々と対戦をするようになっていったんですよね。当時はみんなそれぞれに仕事があって自分のお金で余暇でゲームをしている大人だと想像していたんですけど、自分も働くようになってみると働いて稼いだお金を自分でゲーセンに入れて100円のゲームをする人なんてのは相当な変わり者で、雀荘とかに集まっていたならず者が100円玉をかき集めるためにゲーセンのお客さんのフリをしてゲームをしていただけだろうという考えに至ったわけです。
それで、そういう人はゲームの台にお金を入れてもらうのが目的なので、大抵の場合はほとんど遊んだことのないお客さんより少し勝てれば役は務まるわけですが、そういう人にとって俺がお金を持っているカモの上客であると同時にゲームに強くないと勝てないちょっと厄介な相手であったのだろうなと思うわけです。自分で自分のことを強いと言うのもどうかもだけど、ゲーセンで全く誰も入ってこなくて結局ひとりでゲームを最後まで遊ぶようになって、ゲームセンターはやがて廃業に至るんですけど、それまでの間にどこそこのゲーセンに強い人がいるから試しに相手をしに行ってみないかとか、いつもひとりで遊んでいる店に突然ふらっと来た人がめちゃくちゃ強いとか、そういう巡り合わせが偶然ではなくて、すべて仕組まれたものであるかのように思える時もあるんです。
そして、ゲームを作る側の人も変化があったと思います。ちょっと勝谷さんの「イデオロギー」という難しい言葉を使いますが、ゲームそれ自体がコンピュータソフトなのでゲームの負け役以上に「作らされている身分の低いもの」という思想が作っている人の中にあるわけです。子供がケンカをするだけのことにわざわざキャラクターの絵を描かされているという感じでしょうか。それに対して、ゲーセンの人もお金を入れるお客さんも「買ってやっている」という感覚があったんですよね。
それが、俺が仕事としてプログラマーとしての道を進んだ時に親戚一同から「どうして職人みたいな身分の低い仕事に就きたがるんだ」と非難を受けて当時は分からなかったのですが、ゲームを作らされている人もその会社の中では販売に回る人とか資金調達に回る人からおだてられたりして、そこそこ自分の身分が高いと思って働いているし、ゲームを買う人も100万本売れて何億も儲かっているとは思わずに5000円くらいの上等を買ってもらったと思って遊んでいる。これを両方経験する人て少ないんじゃないかと思うんです。
先日、大阪まで遊びに行って帰り道に乗り継ぎで降りた天王寺の駅で551蓬莱の豚まんをガラスの向こうですごい速さで丸めている人を見て、俺は普段から肉まん食べたかったらコンビニで買うタイプなんですけど、無視して買わないわけにはいかないよなと思ったんですよ。6個で1020円だったから1個170円か。それと比べたらゲーセンでストリートファイター1回で3分で100円取れるってある意味楽で簡単な仕事だったはずなんですよね。それがゲームにのめり込むあまり、お金を持っているのに100円で30分遊べる人になってしまった俺を指して、ゲームセンターの店員をしている知り合いが「僕たちどうすれば良いんですか?」と言われて、その時は「やりこんで勝って負かせばいいんじゃない?」と思ったのですが、後からハッとなったんですよ。