今日の龍虎の拳2(20万点達成するも5面で負け)

詐欺師の手下とか新興宗教の教祖てのは根っから盲信してんだよな。んで嘘だと分かっていながら人を騙せる人って役者として出来ているんだろう。役作りとか言うよね。人に向けて芝居を打つあいだくらいは自分のセリフを信じて言っているのかもな。
龍虎の拳2が面白いって話は面白がって言っているのを俺が分からなかったのか、つまらないものを売りつけようと騙して言っているのに俺が騙されなかったのか、昔のことは人の表情までは分からないが、騙されたと思ってやってみると分かる旨味もある。このところ毎日複雑な心境だ。理解できない他人に対して思想が違うのか騙そうとしているのか裏と表がクルクル回って昔の出来事を思い出しながら、あの時の言葉はどっちの意味だったんだろうと益々分からなくなる。まるで格闘ゲームでキャラの動きから相手を読もうとするようなもので、それだけでは何とも言えないってのが正解だろう。
もっと話して色々の情報を交換するうちに見えてくる人間像もあるかもしれないが、既に遠くなった仲なので、あれこれ思い悩まずに自分の家の近所で新しい友達を見つけたほうが良いかも知れない。こういう時になって、いずれ自立して街を去るつもりで私学に進んだが公立行ってれば中高でもっと地元の友だち作りやすかったかなと思わなくはない。大阪だと人が多すぎて仲良くなるも離れるも自由度が高いと言うか田舎のようなしがらみから開放されたい人の集団な気がする。寂しければ紛らす相手くらい街を歩けばいくらでも見つかるのだから。そのくせ東京で寂しそうに見える人がケータイでつぶやいているのは何故だろうという矛盾もまたあるのだが。
人に言うことではないかもだが、俺は25歳くらいまでの人生を間違っていたと思ったことがある。反骨精神で出来ていて、やれと言われたらやらないし、やるなといわれたらやる。じゃあやらしたいならやるなと言ったらどうだろう、みたいな親の元でひねくれ合ってて、それはそれでどうにか親に頼る以外の方法で仕事を見つけて大阪市内の良い立地にマンション借りて済んでいたわけだが、自殺未遂で父親に引き取られ決別する気だった家族と今は一緒に暮らしている。そこで一度、みんなの言うことに操られまいと反発するでなく操り人形マリオネットのように生きてみるテストをはじめた。もちろん、何でも言うことを聞くとなると逆手に取って悪いことをさせて罠にはめようとする人だっている。反骨精神で生きていた頃と違って、どんどん物事が自分の思う通りには運ばない感覚を持つようになった。しかし、言うことを聞いている以上は見返りにこちらの言うことを飲んでもらえるという交換も行われて、自分の意のままには物事は運ばないものの生活はどうにかなっている。これってもしかして普通の暮らしかな?普通ってどんなだろうと思うこともある。
プログラマーという仕事は賢くないと出来ないわけでないと俺は考えている。忍耐強さがあれば、プログラムの間違いはコンパイラが教えてくれる。それを読んで意味が分かる程度には賢くないとダメかもだが、毎日毎日コンピュータに自分の命令がいかに論理的整合性を持っていないか教えられているようなものだと思っていた。業界に入るにはアルバイトでも何でも職歴や作品が必要だが、入ってから勉強すればするほど能力給という特殊な世界だ。そこらへんも奈良に帰ってきてから工場の制御系とかだと月給制で足並み揃えて仕事をする感じなのでコンピュータ業界とそれ以外の業種という比較でなく奈良大阪で比較したほうが良いかもだが、京都も能力給だったのでここは他の44都道県の意見も聞かないと分からない。話がそれたが、コンピュータを使っているとコンピュータに教えられる気分になる。特に見習いのうちは。
だから、俺がロボットのように振る舞えば家族が家族自身の願望の矛盾に気づくのではないかと思ったが、これはテレビドラマ家政婦のミタと全く同じようなテーマである。この結果はというと、コンピュータに腹を立ててしまう人がいるように俺が鬱憤晴らしの対象のようになってゆき、家族の言動と行動はあらためられても心理的な関係性は余計にこじれたように思う。突っ張り合っていると互いに自分の仕事は自分でしなくてはならないが、色々とシェアするうちに損得勘定の問題になり、言われたことしかやらないようになると最後には誰も俺を操ろうとはしなくなった。俺の口調は完全に親父と別れた母親に似て、髪を長くして社交的な父親と引きこもりの俺で遠くから見ると夫婦か父と娘に見える。父と息子なんだが。姉が結婚してそっちの世帯と一緒に食事にでも出かけると俺と姉が夫婦に見えるらしく義理の兄さんとの仲も悪くなり子どもたちとの相性もあって、最近では姉の家族との付き合いもない。
しかし、破綻しそうなわけではない。俺の芝居もそろそろここまでだろうと思うようになってきた。親父も変わり始めている。
そんな環境で龍虎の拳2を1日1回やっている。俺は自分で働いて稼いだカネをほとんど全部ゲームとかパソコンにつぎ込んだので、マンションは良い部屋でも食事はサバ缶とカップラーメンとかだった。そのさまが他人からどう見えていたか今から考えるととても年収には見合わない貧相な暮らしに見えただろう。あんなことせずに持っているゲームをもっと1本ずつじっくりやってカネ貯めて食事を豪華にしてクルマでも買えば結婚はもうちょっと早かったのではと思うこともある。「もし」で考えてしまうあたりがIF-ELSEの思考回路の病気だ。
プログラムはまず全ての予定を立てる必要があるので、どちらかというとプログラマー思考よりは行き当たりばったりにボタンを押して見るゲーマー思考のほうが現実には順応しやすいかも知れない。全て先回りに予定が組めるまで動けないという状態をある程度理解した人がプログラマーにその時間と生活を与えているのだ。プログラマーで飯を食うのは自活とはちょっと違う気がする。無人島とか山ごもりでない以上は自立というのは社会への順応と同じである。IT業界のことだけでなく、俺は当面この街に馴染まないと暮らしていけない。お金はあるから家とスーパーだけでいいと考えていたこともあるが、考えたらウチの周りの他の人はどのように暮らしているのだろうか。
母親の変化も記しておくと、俺が母親と再開して話を素直に聞くようになると、とにかく要求が増えた。小さい頃は「勉強しなさい」だったが、それがいつしか「医者になれ」で、その命令には現実問題で実行できなかったが、話を聞けば聞くほど自分の言うことは何でも叶うと思うようになったのか、ゲームはやめなくていいからウメハラみたいになれ、会社に行くなら出世しろ、もっと頑張れ、テレビとかで有名なあの人みたいに成れというような話ばっかりになって、これはさすがに全部聞いたら身が持たないなと思って今は電話も聞き流して連絡が向こうからないしこちらからもしないし、充分な距離を置けている。まあ、聞いてやりたいというか、母親の願いなのかなそれは。
爺さん婆さんにはお線香もお経も上げていない。檀家参りの坊さんを追い払ってお布施も貯金に回しているのでブログで念仏を上げておく。うちは阿弥陀さんなのでナンマンダブ、ナンマンダブ。