小学校くらいだったか塾の歴史の授業で

士農工商封建制度を習った時に参考書の隅に「侍にいっぱいお金を貸してゆすっていた商人が斬り捨て御免になった」というエピソードが乗っていた気がするんだが、こんなヴェニスの商人ショートショートは有りなのかと。読書は大切と育った世代だけど、本をいっぱい読むとルーツになる本さえ読めばその他多数は模造品に見えてきて、しかしなかなか本物に出会うことはなく、偽物をいっぱい作って売っているから「読書が大切」と教えてくだらない本をたくさん買わせている説が俺の中で有力。
小学校で平等を習った俺だが、家の親父もやはり小学校の頃から固く平等を重んじる人である。小学校で習ったからと言うよりは親父がそれを重んじる影響かもしれない。母親はそうでもないのだが、母親が出ていってから叔母さんが家に手伝いに来て鍋でクリームシチューを作ってくれた時に親父は皿を3枚出して俺の分と親父の分と弟の分をはかって3等分した。しかし背格好や体重が違うのに3等分すると体の小さいもののほうが満足で体の大きいものは不満という等分ゆえの不公平感を俺は子供の頃から感じていた。まあ、親父に不平を言うではないが真の平等とは何か、みたいなことよく考えた。お金持ちだからいいやん分けてくれよという人にどんどん自分の財を分けてしまうバカ王子キャラなので、苦言を呈してくれる人よりお金が目当ての取り巻きに囲まれて一族の財は3代目の俺で無くなるだろうと思われていた。
しかし、無くなる前に自分の財が周りの人より少ないなと思った時に俺は子供の頃に通った駄菓子屋ゲーセンのおばちゃんと話をした。「みんな公平とか平等とか言って俺が子供の頃にはあの手この手でお金を要求してきたのに俺のほうが困っても誰も助けてくれへんねんな。公平って言うなら俺がゲームに払ったお金をうちの文具屋で鉛筆1本でも買って返してくれたことあるか?」「おばちゃんそんなん知らんやん」「ずっこいな」「あんたが勝手に払ったんや。それにいちばん払ってくれたんはあんたとちゃう。ヨシイ君や」「ヨシイ君のお父さんはな、公務員なんや」「なんや、じゃあ私ら税金が返ってきただけか?」「おばちゃん何もせんとゲームの台の横に座ってただけやん。ヨシイ君のお父ちゃん、公務員やけど帳面つけたりはんこ押したりくらいの仕事はしてはるで」「うるさいわい。おばちゃんらな、公平がええんとちゃうわ。あんたらのほうがお金持ちで得や。わたしな、公平とちゃう。反対の立場になってみたいんや」「そしたらおばちゃんもパソコン買ってプログラムの勉強でもしてみいや」「わたしにそんなんせえゆうのか」「反対の立場になりたいんやろ」
それでもどうやら、俺の近所は同和教育が施されている地域なので、俺はまだまだ世の中というか日本の平均値よりは貧乏なのだが地域の中では金持ちで、パソコンを何台も持っていると言うだけで変人でもある。30代まで外に勤めに出ていたが、プログラマーという仕事に対する理解はなく、何の役にも立たないパソコンの前に座っているだけでどこからともなくカネが湧いてくる、つまり札を刷っているか詐欺か何か悪いことをしてきたかのようなイメージを持たれている。
幸いなことにウチは爺さんの代からかその前からか金持ちで通っているので、お勤めをやめて家で暮らしているとお金を持っていても「金持ちのおぼっちゃん」で通る。昔はそれが自立を認めてもらっていないようで払拭したいイメージだが、退職してから平日に近所に買い物に行くだけで異端の目を向けられる。それはこの辺りがベッドタウンに変わりつつ有り男で昼間から働いていないというのはサラリーマン世帯の主婦から見ていぶかしげだから、それに対する言い訳があるほうが便利というふうに考え方が変化した。
俺は公平を謳って金持ちから貧乏人が金をせびった歴史があるのに、立場的にもともと貧乏だったほうが金持ちだった人より金持ちになった時に返してでも公平にしようという気持ちが無いのであれば、それはただの詭弁だと思っている、プログラマーが怪し職業かもしれないが、同和の卑しさはそのへんにあると思う。だから、世の中には同和より進んだ保険や共済のような金融機関があるのだ。借金してでも種銭を作って働いて返そうとするのでなく、金持ちによこせよこせとせびるだけなのが同和のやり方だ。だから、公平を謳うならまず平等に分配するだけでなく、その後にシーソーの傾きが変わって立場が反対になったときには返すという約定のようなものを作ってから出ないと「お金持ちだからいいやん」は聞いてはいけなかったと思っている。
実はこのことは新渡戸稲造の武士道を読んだ時になるほどそういう歴史があったのかと思ったが、自分も類型にはまっていることを比較的に早い段階で気づけたのではないだろうか。親父が死んで相続してからもっと取られたりしていたら本当に俺の代で全て失っているだろう。爺さんが俺に良くしてくれたように姉のところの孫には親父が気をもんでいる。しかし学校でどんどんくだらないことを覚えて帰ってくるようだ。それは先生からでなく同級生から。
この街の若者は金が出来たら引っ越しする。昔から残っているものは少なく、商店街は終わり際の端の方から住宅に変わり始めている。俺は大阪にマンションを借りてその地域に順応することは失敗したが、では地域に順応出来ているかと言うと、まあ家には順応出来ている。一歩家を出るとよその店である。この商店街の人はみんな店の内に住んでいて、そこから一歩も出ない暮らしぶりである。散歩に出るだけでめちゃくちゃ浮く。当面の生活費はあるのだが、お金を使うと何に使ったという噂が町中に広がる感じで、とかく家でじっとしている以外の暮らし方はやりにくい感じだ。
仕方がないからブログを書いているのだが、今日は何となく資金運用とかだけで上手いこと食っていってもベニスの商人みたいな予知が頭をよぎったので。まあ、その場合でも俺より先に死ぬのは駄菓子屋ゲーセンのおばちゃんだと思うけど。