今日の怒首領蜂(ハイスコア12,660,350点)

セガサターン怒首領蜂を頑張ってます。
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高校くらいで成りたかった職業といえばゲーム雑誌のライターで、募集要項に「ゲーセンのゲーム何をクリアできるか」と載ってて、ゲーセンのゲーム100円では当時クリアできたのストリートファイターIIなどの格闘系だけで、編集長の言葉に「格闘ゲームは簡単」とあって「くっそ!格闘ゲームはダメなのか!やっぱシューティング上手くならんとな・・・。」と思ったのが多分俺のシューティングコンプレックスの始まりなんですよね。いやファミコン版のグラディウスとかイメージファイトクリアできてもゲーセン版は無理だったりしたもんなんですよね。
それから時は過ぎて近頃では「シューティング?何それ?格闘ゲームのプロゲーマーとか凄いっしょ!」みたいな意見もあるかとは思うんですけど、このゲーメストの募集要項が自分のゲーム上手い尺度になってるんだろうなと自己分析するわけです。対戦が流行っている街中の人だけが読者というわけでもないだろうし、客観的に攻略を書く上でキャラを超えて人のクセ読みになる格闘ゲームゲーメストでもベーマガ系でも「読んで」とか「読まれないように」としか活字にはなっていなくて、これは言葉のトリックでそりゃ読めれば勝てるわけで。
その一方でシューティング系の記事のほうが誌面的には人気がなくマニアックだったけど読めば確実にタメになる知識が詰め込まれていて、編集長がシューティング系に拘っていたのはそのへんかなとも思うんですよね。言葉にして活字で伝わることにこそ雑誌の文章に価値があるわけで。自作ホームページでゲーム攻略とかしている方の中にもゲーメストの影響が濃いめだなと思う活字を書いている方はちらほら見かけて、格闘ゲームじゃ押し問答や水掛け論になってしまう「読み合い」を排したシューティングの世界。
雑誌のライターに格闘ゲームで勝つってのでなく、本を本として読むことで書き手の考えを理解して自分のものにするっていう本当の読書のメリットをどらくらい享受できたかというと、俺の場合はシューティングでこそ雑誌から学ぶことが多かったと思うんですよね。本を読んで「これは違う、あれは違う、こんな本はつまらない」ってのじゃ読んだ価値は少ないわけで、格闘ゲームに関してはそういう態度を取ってきた反面、シューティングに関しては引け目を感じていた分だけ謙虚に学べたんですよね。それで実際に記録が伸びたゲームは沢山あるし、今では雑誌はもう捨ててしまって読まなくても自分で攻略できるようになって、それは当時しっかりと読んで実践して今では自分の骨肉になっているから。
それでも届かない部分は、やっぱり活字のやり取りだけでは満たせない肉体的な条件がシューティングにもあって、雑誌の攻略も何度も取り直しをして、成功の写真を納めながら上手く言った時のコツを書くにとどまる部分があったんでしょう。ライターは常勝無敗なのかというとそうでもなく、カメラの横で何度もリテイクする自分とそう変わらないレベルの人もいたと思います。
雑誌の話はそこまでで、怒首領蜂のハイスコアに最初から入っている590万点のOSDさん、長田仙人と呼ばれて山ごもりのごとく怒首領蜂に専念して、2周クリアを毎回確実にこなすところまでやりこまれたそうです。雑誌のライターって結局は活字を売って飯を食ってるわけで、写真と活字の間に隠せることがあるけど、長田仙人は本物だなと思うし自分もそうなりたいかと言われると、シューティングのレベルだけ何かの魔法でそう成れるなら成りたいけど、同じとこまでやり込めるかと言われたら引きます。まあ俺の念はその程度ですよ。


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