白ウィニーは速度でファッティに勝っているという嘘

リミテッドでウィニー戦略をとって速度で勝って戦場を数で制圧しても勝てない時は勝てない。ゲームをやらない人が批判の緒にする「MTGってでっかい怪物出したほうが勝ちとちゃうの?」と小馬鹿にされた時に必死にならなくて良いように先に言い訳を考えておく。ちなみに、正確には「MTGは20点から始まるお互いのライフを先にゼロにさせれば勝ち」であって、大きい怪物を出したほうが勝ちではない。しかし、相手のライフをゼロにするには戦場に大きな怪物がいれば成したも同然である。ではどこでロジックが混乱したか。ひとつづつ解き明かそう。
f:id:karmen:20180716115639j:plain
先ず、大きい怪物を出したほうが勝ちというルールに真っ向から対立するのが白のウィニーデッキである。ウィニーとは「弱っちい」という俗語から来ているが、勝利を意味するウィンに語呂が近いため縁起物として喜ばれるかも知れない。これは格闘ゲームヴァンパイアのビクトルが勝利という意味なのに何故かザンギエフ級に弱いキャラなのと近しいものがある。話がそれた。
ウィニーが速度で勝つというのは、4ターン目くらいまでの出来事で7枚の手札から平地、サバンナライオン、平地、白騎士、平地、ジャベリン兵と騎士、と3ターンで初手を使い切ってしまう展開力がある。しかし、そのままでは相手にもっと大きい怪物を出されてブロックされる。そこで剣を鋤にでライフを与えながら除去してアタックで取り返すのだが、どう考えてもそれだけではまた大きい怪物を出されて負けてしまう。では何故勝つのか。それはレアカードのハルマゲドンが4枚入っていて、4ターン目までに展開したクリーチャで場が勝っていれば両者の土地が全部壊れてゲームがライオンと騎士の並んだ状態で振り出しに戻るから勝てるのである。
他には十字軍で強くするという手もある。これは大きな怪物を出したら勝ちではなく出した怪物が大きくなって勝つので反論としては弱い。運命の車輪を使うやり方もある。手札を使い切って、またお互いにたくさんカードを引いて自分のほうが先に使い切る。これらのメカニクスを合わせることで白ウィニーは強いデッキとなっている。
では、本当に大きい怪物より白ウィニーのほうが強いのかという疑問に答えを出したのがジンマゲドンデッキだ。白単のウィニーではなく白緑でエルフでマナを展開して大型クリーチャのアーナムジンを呼んでからハルマゲ丼する。つまり緑の怪獣デッキと白ウィニーの良いとこどりはウィニーとジンではなくエルフとジンとハルマゲドンなのだ。
この仕組に気づくことで、長らくウィニーとミッドレンジを組み合わせた展開力と中盤力のあるデッキを構想していたものが、ハルマゲドン無かったらやっぱりダメじゃね?と分かるようになった。だからまあ、ハルマゲドン自体がゲームの基本セットから無くなった時に白ウィニーは実質的に勝てなくなってMTGは大きいの出したら勝ちのゲームに本当になってしまったのだ。
その中での勝ちを目指すのはハルマゲドンのような高価なレアカードをいかに集めるかではなく、似たり寄ったりのカードの間の微小な相関関係の中の有利不利を読み解けるかどうかになってきていると思う。組み合わせの妙で完封を狙うゲームだったこともあるが、同じ組み合わせのコピーが横行してコピーで完封する側とコピーに完封される側に二分してから完封を決めたコピー同士で同士討ちをするゲームから、近頃では色々と多様性が認められつつもその中で勝率をいかに55%と45%に離すかみたくなってきてるんやね。
もしもカードの束が120枚で全てであった時に強い組み合わせの60枚と弱い組み合わせになってしまう余りの60枚に分けたら、その束で二人で遊ぶことは出来ない。120枚で二人で遊ぶには丁度バランスが取れるところで二分したほうが面白いだろうし、トレカではなくトランプはそういうゲームだから。マジックザギャザリングはカードバランスが毎年変化するけど、その中で面白いと思うシーズンは強い弱いにハッキリ二分されるシーズンでなく、シーソーゲームになるシーズンだ。それがつまらないという人もいる。特にプロとか目指していたらそんなシーズンは素人にも負ける可能性があるからだ。
MTGって大きいの出したら勝ちやろと言われて、じゃあ大きいの分けてあげるから一緒に遊ぼうよと言えるなら本当に良いゲームだ。そうじゃないと否定しながら大きい怪物は独り占めという矛盾を抱えたままでは内輪で盛り上がっても周囲の理解は無いだろう。俺は本当に大きいの出したら強いことは認めないといけないと最近特に思っている。いかに相手より大きいのを早く展開するかとか、大きいの出したら勝ちのゲームでも勝つための工夫はちょこっとあって。大きいの出したら勝ちってのは、そんな幼稚な遊びには付き合えないという防衛戦だが、本当はルールが分からない所に混ぜてもらえない恐怖からの防衛戦なので「そうやで、大きいの出したら勝ちやで。そやけど小さいのがコモンで大きいのがレアってわけでなく、緑のコモンは大きくて白のコモンは小さくて怪物VS軍勢という構図になって、普通にやったらどう考えても怪物が勝つところに赤や青の呪文が干渉するんやで。そして黒にはどんな大きい怪物もあっという間に殺してしまう必殺技があるんやで」というところくらいまで、キッチリ説明すれば大きいのを出したら勝ちであることを認めても大丈夫だと思うんだよね。
MTGなんて大きいの出したら勝ちやろ、幼稚やろ、とか俺の住んでる地域や俺がトレカ始める前からつるんでた仲間によく言われて嫌な思いをしたんだけど、ちょっと隣の駅くらいまで足を伸ばすと楽しそうに遊んでて輪にも入れてもらえたりした。どうして大和郡山市の駅前では発展性が無かったのか、ちょっと疑問なんだよね。流行りだした頃にショップが3軒出来て客の食い合いになって、店が儲けるだけ儲けてプレイヤーがすぐ居なくなったという。用心深く保守的な人が警戒心を抱いて排斥したようにも思えるんだけど。店がもちっと庶民的な値段で遊べる場所であって欲しかっったけど・・・。家賃が高いみたいな大人の事情もあるんでしょうかね。