「避雷針」という例えがワケわからないらしい

マジックザギャザリングでプロツアーで優勝したり、雑誌のライターをしている人は「そういう人」として一目置かれているのですが、俺の場合は大した戦果もないまま、どちらかというとカードを実際に繰ってプレイを重ねるよりも思考実験と計算だけでゲームのロジックを理解して、たまにふらっとカードショップに遊びに行って店にいるプロの人に勝って自己満をして遊んでいたんですね。
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おかげで、ちょっとメシでも行こうかと誘われて人の車に乗ったら凄いスピードで荒っぽい運転で脅されたり、酒をいっぱい飲まされて何かを喋らそうとしたり、とかく簡単に言うと「こいつは絶対何かのイカサマだ!暴くか吐かすかしてやる!」と思われたんでしょうね。その時にはそれが分からずに、怖い人いるなぁ、マジックザギャザリングで遊ぶのも相手を選ばないとなと思ったものですが、奈良にマジックザギャザリングの店が出来てその立地がキャバクラ街と同じだったので「コレは本格的にヤバイゲームかも」と考えて分かりました。
まあ、トランプゲームのブラックジャックの必勝法として生み出された確率という数学は俺は高校の時に勉強したのですが、麻雀でも経験派と確率派に分かれるらしく、それは俺の歳では高卒は当たり前、もっと若い人では大卒でも当たり前だけど、旧制高校の時代では小卒とか中卒の人も居て、それは決して頭が悪いとか勉強をしていないではなく時代だったんだなと。だから親に学費を出してもらって確率を勉強してから麻雀に勝っているというのは学費200万を自己投資に当ててもらって、すごい借金を麻雀で4000円ずつしか取り返せていない、500連勝くらい勝たないとペイできないわけです。もっと良い仕事しろよって話です。
しかも、当時はマジックザギャザリングのような複雑なゲームが確率や数学で解かれるなんて誰も想像していなかった。コンピュータ将棋がプロに勝つ前の時代。確率というだけで胡散臭がられて「どこの大学やねん」「専門卒です」「なんで専門学校しか出てへんやつがそんな偉いねん」の一点張り。俺は確率を高校で習ったんです、と言えば良かったのかもだけど、当たり前だと思っているから分かっていないって分かっていなかったんですよね。
そこで俺が変な小型のクリーチャー・カードを1ターン目に展開するのをイカサマではなく確率だとどうにか飲んでもらってから「だけどそんなカードライトニングボルト(稲妻)されたら一発やんけ」「ローリーさんとか良くタフネス3までのクリーチャーは稲妻1発で落ちるから使ってはいけないと言うけど、稲妻も火葬も入っているようなフルバーンは多くてトーナメントに2割、他のデッキでも稲妻を採用しているならタッチ赤のはずだから稲妻は4枚。だから幻影獣が4マナ3・3で稲妻1発と言っても他の1マナクリーチャが避雷針になって幻影獣が生き残る確率もあるとすると稲妻でやられるからと言うだけで他の色に潜在的にポテンシャルのあるカードを外してしまっては勿体無い」って言ったんですよ。
「はあ?ヒライシン?何言ってんねん?お前分からんわ」
と言われて逃してもらえたんですけど、俺はそこで逃してもらうんじゃなくて分かってほしかった。ヒライシンは岐阜のモリガン使い平井伸介の略ではなく避雷針なんですよ。漢字で読めば意味分かってもらえるかなと。まあ、分からなかったら岩SHOWのデイリーデッキでも読んで分かるまで強いデッキを自分で使って実験してみれば良いと思います。ローリーさん、通じるかな?たぶんいまマジックザギャザリングやってる人て岩SHOWが神様みたいに思ってんじゃないかな。ただの働き者の専属ライターだと思うんですけどね。
まあ、稲妻1発では落としきれなくなるくらいクリーチャが増えると今度は「神の怒り」に対抗しづらくなるんですけど、神の怒りはレアカードだし、稲妻はコモンカードだし、どちらを警戒すべきかと言うと稲妻だろって思う俺は帰国子女。日本ではカウンターポストがトーナメントを席巻して、白青と言うと神の怒りと対抗呪文が基本カードのように誤解されているけど、神の怒りはレアカードで対抗呪文はアンコモンだからみんなが白青を取って「カードゲームはゴミカードがいっぱい出る」が日本の定説。それはたぶん間違ってて、トーナメントパックひとつ買ってみて、飽きてヤフオクでレアカードを1枚売ってしまって、キングの無くなったトランプみたいなものが残っている、みたいのが最大多数派。日本にMTGが上陸した時に各地のカードショップにはレアカードのファイルを抱えた外国人のバイヤーがバイじゃなくてセリングに来てたんですよね。狙い目は現金と日本語黒枠4版。
ああ、俺達は黒枠4版を騙し取られたんだなと思った時もありましたよ。もう、カード売価の高騰には騙されなくなったけどね。
稲妻とか幻影獣とかいつの時代の話だよ、と思われるかもだけど、当時に言っても暗黒の儀式から惑乱の死霊とか飛び抜けて強いカードがまだ禁止じゃなかったから、いかに未来に禁止になるカードを先に集めるかゲームみたいな様相で、ゲームのロジックが数枚の強いカードにメチャクチャにされて、ゲーム性そのものの研究が遅れたんだと思っているんですよね。ドラフト高得点と偏りきった構築の両輪で真のゲーム性が見えてくる。やっぱ、極端な人が多かったんですよ。極端と極端で勝負してるからどんなゲームをイメージして作られたかも分かっていない人が多かった。最近のほうが狙いに近い形で楽しんでいる人が多いと思いますよね。運のやり取りを楽しめる社会的な余裕ができたとか。まあ、洪水のあとにカジノ関連法案はどうなんだって怒ってる野党の方もいるみたいですけど。洪水でタップさせて飛行クリーチャでアタック!みたいな。洪水で困っている人には笑い話じゃないので、そこは失礼しました。