関東人に冗談を言ってみて笑わなかった時に

関東の人に関西ではウケまくる俺のしゃべくりにキョトンとされてしまった事は何度もあります。
その度に「面白くなかったのかな?」「笑いのツボが違うのかな?」などと考えてしまっていたのですが、そうではなく関西では文字通り可笑しいとき、お笑い番組で「この感情を伝えるのに使う表情は笑いである」というプログラムが組み込まれていて、それに対して関東では「人の失敗などを笑うのは失礼」というプログラムが組み込まれている。関東人も可笑しいと思うけど笑っては失礼と堪えているうちに笑わなくなったのか、関西人はみんなが笑うから一緒に笑う内に可笑しいと思えるようになったのか、そこらへんの線引は難しいんじゃないかなと思います。
そして、関西では偉い人が面白いことを言ったら笑わないと失礼という文化があって、大御所になると何を言ってもウケる。それはもう女子高生は箸が転んでも可笑しいというように、偉い人がひとたび場に現れると皆が喜んで笑いあふれる楽しい場に見えるかもだけど、それは相手がジャンプしたら即座に昇竜拳を打つプロゲーマーのように、あの人の笑わせたい話はこれだからそこで間髪入れずにみんなでウケる、ウケたふりでもする。それで自分のことを面白い笑いをもたらす人だと思っていたら、関東でこれっぽっちもウケない。
これはつまり、はてなブログで毎日スターを100個くらいもらっていて、有料ノートを書いてみたら100円ぽっちも儲からない、みたいな現象なのかも知れない。世知辛いねぇ。世の中知らないほうが幸せなこといっぱいあるんだよ。いや反対に辛いこと、労苦とか病気を味わった後の人のほうが日常に感謝をして何気のないことでも幸福感が味わえるって考えることも出来るんだけどね。
その話はここまでで、今日のデッキはコレだ!
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ダンボール2箱くらいのカードを部屋の中において「ああでもない、こうでもない」とカードゲームに明け暮れたことが俺にはあるんですよ。しかしその後、例えば自分の部屋がカードショップだと考えて1枚も外に売れていない、持ち家だけど貸しテナントだと考えると家賃が毎日かかるはずで、そこでくつろがないでデッキを作るという仕事をしている、その仕事の結果がベスト16とか微妙なところで、店舗大会優勝くらいならそこまでカードは要らないわけで、いっそ捨てて部屋を広く使ったほうが有意義なのではとカードショップにダンボールごと送りつけたんですよね。
その額は店頭価格で行くとものすごい額なんですが、俺はそれらが滅多に売れないことを知っているものだから、この仕事は肩代わりしてもらったほうがラクだろうとその時は考えて。それから、面白いマジックザギャザリングってどんな展開をした時だろうというのも併せて考えるようになって。やはり少数のカードでデッキを組んで、自分の持たない同じく弱いカードのデッキと対戦をして、カードのトレードで「俺には要らないこのカードがお前のデッキに入ったら強くなるぞ」と持ちかけて、相手と交換で自分の欲しいものを手に入れた時の「得した」という感覚なんですよね。お金がいっぱいあって金銭感覚が麻痺していてもゲームを取り巻く世界で擬似的に持たざる者に貶められた時に、より強いカードを求めて交換する知恵を働かせて脳内麻薬が出て気持ちよくなる。
だから「全部買っちゃえば良いじゃない」と思っちゃうとその交換のために快感を得るということがないから、結果としてデュエルに勝ってもトランプのポーカーでフルハウスを引いたくらいの快感しか得られていないんですよね。得も滅多に出来ない。
その体験を得るにはカードを手放さなくても貸し倉庫に放り込むだけで本当は充分だったのかも知れない。それは反省すべきところ。
まあ、トレーディングカードゲームとしてのマジックザギャザリングは充分に楽しんだわけで、後は多分MTGでなくても格闘ゲームでも競馬でも何でも良いから「当てて見せたい」という気持ちが心の片隅にあるんですよね。ありとあらゆるギャンブルは単純な場合の数の確率だけでは親が得をして参加者はみんな損をする。だけど、その中でひとり勝者が選ばれることで親の得を隠して参加者を夢中にさせる仕組みになっているんですよね。その勝者になりたいってのはあるいは舞台俳優で主役を取りたいみたいな話かもしれない。
宝くじを当てるよりは、ゲーム要素が高いくじのほうが自分の力で当てたという実感につながりやすいわけで。その選ばれた時の感覚ってどんなだろうって、味わってみたいって気持ちはありますよね。ただし、労苦や病気の後のほうが日常に感謝できるという理論と併せて考えると、成金とか賞金稼ぎみたいのは「悪銭身につかず」で不幸に落ちてったってバランスをとるための逸話で諦めさそうって向きもあるんだよね。実際にカードをたくさん買っていた頃の自分の使い方じゃもし優勝しても今の生活は出来ていないと思う。節約をして堅実な生活の金銭感覚を持った今になってみると、ゲーム大会くらいで入る賞金がべらぼうに高く感じるようになったんですよね。
まあ、格闘ゲームもほとんどしなくなったし日曜に昼食の待合で競馬新聞を借りて読んでも馬券は買わないし、マジックザギャザリングもグランプリの予選にコモンデッキで出てから1回ひと箱だけ買ったけど、それっきり数年間は買ってない。なんかもっと別な使いみち無いのかなと常に考えながらも、それをまた余暇として楽しめるくらいの生活の余裕が出てきたのかも知れないし、反対に賭けに出たくなるくらい節約生活でのフラストレーションが溜まってきているのかも知れない。テレビゲームやケータイゲームやって貯金するって生活にどこかで嫌気が差しているんだよな。
もう、貯金していって何年後に家のリフォームでどのくらいかかるかとか考え出すと遊びに使う余裕が見込めなくなって、万馬券くらい当たっても解決になってない額の悩み事を数百円のゲームでいっとき忘れられるなら、それも良いかなと言うのが正直なところ。それとちゃんと向き合うとゲームに使って良い額をちゃんと割り出してから計画的に遊べるかもだけど、遊びっていつまでに終わるとか決めないで夢中になる物だから面白いんだという矛盾もまたあんだよね。使うのは慎重に。