事実は小説より奇なりとは良く言ったもので俺の経験はまだ記せていない

恐らくだが俺は多重人格というやつで、このブログを綴っているのはゲーム漬けで遊び人の可愛そうな白痴の金持ちの俺ではなく通勤電車で森博嗣の小説を読んでいた新しい人格の俺である。その人格が出来たのは19歳の頃だったはずだ。このブログを書いている俺の22歳からの素行を知っている人からしたら別人格なわけだから、信じられないだろうというか俺自身が記憶を辿っても何故そういう心情だったか計りかねる純愛小説のような恋愛観を持っていた頃が有ったはずだ。一人の女性を愛しぬくことが至上の幸福であろうと信じ込もうとしていたというか、女性がどういう風に男性に好意を持つかというのは一般論的に少女漫画とかテレビドラマや映画俳優のような、既に知っているキャラと似ていることを勘違いしてその人だと思ってしまうというようなケースと、空想以外で行くと幼馴染とか親兄弟のごとくある程度に閉鎖された人間関係の中でその人しかいなかったとうケースも有るだろう。もちろん、それらは千差万別で一般論には嵌らないという人もいるだろうが、19歳の俺は恋愛に長けた年上の女性から見たらチョロいイチコロで落とせる男だったのだ。しかし、その恋愛はデートをしてみた後に携帯電話の電源を切れば終わる遊びの恋だったろう。だが、遊ばれた方にはそれこそが純愛を捧げるただひとりと思った相手と突然連絡が取れなくなるという交通事故のような出来事だったわけで、到底現実として受け入れられる理由が見つからなかった。ちょうど山崎まさよしワンモアタイムのように街をふらついて探し回り、かからない電話を何度もかけて友人を当たり、どうして良いか分からず部屋で天井を眺めてもう死んでしまいたいと思った時に、俺はパソコンのブート領域を書き換えて1台のマシンをウインドウズでもリナックスでも切り替えて使える技術を思い出し、別人として人生を自殺の代わりに継続できないかと思った。
そうして出来上がったのが高校の頃に女性向けの恋愛小説で読んだ女性が意中の人と出会う前にフラれたというサイテー男の人格である。今の俺はそのサイテー男と森博嗣犀川助教授の成分で出来ている。犀川助教授だったこともあるが、再川遊びはいつしか終わって無意識的にサイテー男に人格が統一されつつ有るのだ。サイテー男が何故サイテーかと言うと恋愛小説の主人公をフッたからサイテーなのだが、その女性をフッても変わりがいくらでもいるくらいモテモテなのだ。振られた俺は純愛を信じ込もうとしてしていたというか、信じ込んでいたが、遊ばれたのかも知れないと悟り始めた時、仕返しとして女遊びをしまくってみたいというか、ひとりでいいはずなのに何故かモテモテを目指し始めたのであった。そしてモテモテを目指しての立ち振舞はヒロインをフッてその他大勢の女の子にちょっかいを出しつつ、誰が一番大事かという問題になると麻雀をしたりドライブをしたりと男の遊びに夢中で女は遊びで趣味が本分というようなキャラを演じることであった。
このブログは実名なので、その演じているうちに中心人格になってしまった自称モテモテ男のカネを使った女遊び遍歴はまあ語らずに推し量って欲しいところなのでは有るが、そういう遊び方をしている間に男の友達も少しずつ付き合い方が変わり、もしかして昔の付き合いっていじめられていたのに鈍感だった、金づるにされているのに鈍感だったというか、どう頑張っても元の人間関係が求めていたものは寂しさの穴埋めというだけで、ひとりと自分で向き合って自分の利になることを求め始めると、得する関係なんてひとつも無いように思え始めた時に例外だなと思ったのが匿名で自分を叩いていたネットの誰かなんだよな。
それは匿名を利用した知り合いかもしれないし、目立っていた俺を陰から見ていた俺は知らないけど少なくとも相手から見たら俺を知っていることは間違いない書き込みで、批判は痛烈だったがそれを客観視して受け入れることで今の自分が有る。
今日は昼飯を食った後にベッドで天井を見ながら「死にてー」と思っていたが、こうして文字を打っていると何故死にたいくらいの辛い気持ちだったかまでは思い出せないプチ多重人格はまだ続いている。だが、少なくともここまで書いた人格は今までネットに書き込むことなどしない読み手のネットからは隠された人格であったはずだ。今、冷静に読み返してこんな文章は消してしまうべきかと考えているが、死んでしまうよりは書き込んで俺の体験がどう変化するか試してみたい。何も変わらないかも知れないし、もし今より悪くなればそれから死んでも死ぬのは遅くないし、良くなるかも知れない。
ただ、何を伝えたいかと言うと俺は印象的な出来事は鮮明に動画のように覚えているが、気にしていないことはスグに忘れてしまい、忘れたことにしているわけでなく本当に思い出せないのだ。それが俺が本当に多重人格と呼べるほど人と違う精神を持っているのかも定かではないし、思い出そうと頑張って思い出すと何故そういう状況に陥ったか口頭や文面では説明のし辛い複雑で意図的な悪意の策にはまっていた苦しさと、それを逆転に至らせる確固とした証拠が示せないので、あれはどういう時に何を思って言った言葉かということまで分からずに言った言わないで確かに言った、だけど本意ではないことに有言実行を示す愚かさにはハマりたくないという気持ちがあるんだよな。とりあえず、苦しい。しんどい。病んでる。
これ投稿したらコーラ飲んでタバコ吸ってくる。俺は親に逆らってひとり暮らしを始めたが、ひとり暮らしの生活費を稼ぐために働くよりかは親が生きているうちに面倒見てくれる分は目一杯見てもらおうと甘えているので家にいる時は子供の時と変わらない格好で幼稚に振る舞っている節が有り、ときどき文章もそのままの調子で書く。書いている体は同じ人なのだが、とっちらかっているのは恐らく俺が多重人格な影響もあるのだろう。病名は多重人格ではないが。頑張ってひとりにまとめたい。死にたいと思った俺の続きを受け持って死なないように考え直させる必要があるのだ。死ぬくらいなら別人にと逃げさせないで捕まえるのが難しい。女に振られたくらいで死ぬなよ、と文字にして残しておいてやろう。まあ、純愛が命題なら別れが死で辻褄としては合っているのかもしれんがな。