「あともどり」を求められている気はする

あの偉い発明家も、あの凶悪な犯罪者も、みんな昔子供だってね
緑茶は伊右衛門なミヤザワ家ですが、俺は何ていうかブログに過去の悪行の独白を始めたりしてみて、それを未だ知らない人から見て健常者に見える仮面を被った犯罪者みたいな存在には成れたとしても、健常者にはもう戻れないような気がしてるんですよ。
刑務所での更生が本当に実現するなら再犯はなくなるわけで、現実そうでないなら一度でも悪くなった人は仮面を被って市民の中に混ざるしかなく、それを市民が意識していたら犯罪歴のある人を見分けて疎外しようとするだろう、みたいな考え方になるわけで。
性善説性悪説かって問題は人工物に溢れた世界の中で様々の思惑が入り乱れた大人に囲まれて生まれ育つ中で本来的な自然的な性質は既に意味を持たない要素というか。
もともと幼稚園の時から何かはみ出した子供だったし小学校でも浮いてたし、集団生活が苦手な子供部屋育ちだから部屋でひとりでコンピュータに向かうのは性に合ってて、普通の人と同じなのはテレビが好きなことくらい。いったい何歳まで巻き戻れば普通に軌道修正出来るのかと考えたら、俺を俺のまま受け入れてくれる場を社会の中に探して見つけない限りは参加できないんですよね。まあ、レストランで食事のためにお金を払って席に着けば集団の中に属しているように見えるのでどうにかお金を稼いで都市の中で生活することくらいは出来るんだろうけどね。最近では珍しくない「おひとりさま」も先駆けだった頃には随分と嫌な顔をされたというか。飲み屋にひとりで入って飯を食うのも馴染むのに時間がかかると言うか。他のお客さんを連れてくると喜ばれるのは儲かるからだけでなく飲み屋ってのは話し声や笑い声が聞こえてくる賑やかな雰囲気をお客さんも一緒になって作っていかないとカネ払うから入って食っていいみたいのは違うというか。
人に囲まれると気疲れするから避けてひとりを選んでいるうちに食事や日用品の買い物以外に全く外界と関わらなくなっていっている俺を唯一救ってくれるのがネットで、それはただのパソコンでなく他所のパソコンやケータイと繋がっているからで、繋がった先には俺を受け入れてくれるかも知れない人もいるのが生きていく望みにはなっているという普通のSNSラーなんだよな。だから今日も生存報告する。
あともどりと言っても時間は戻せないので歳を取りながら来た道を戻って若作りとそれはどれくらい違うのかな。