日本人の総体験量はテレビの普及以降減っているという仮説

ブログが人目に晒されると読める文章でないと「面白くない」とご批判をいただくもので、大して面白いものが書けるわけでもないけど、せめて分かることを書こうとしてきたのが最近の取り組み。それ以前は公開してどうなるかの予想はつかないもののアイデアメモのようなものを残すつもりで書いていた。狭い趣味の格闘ゲームの気付きメモみたいな。
では分からないことというとどういう事か、というと決して難しいことというわけではない。例えば映画を見て感想を書くというのも大抵の場合自分も見たら分かるものだが見た人が「つまらなかった」といって「そうなのか」と思って見ないで済ましたという場合、そんな感想なら読まないで知らないままのほうが幸せなのだ。映画は見たいでもお金と時間を工面できないだから雑誌の立ち読みや人のブログで済ませた、見なかった。そして上辺の話だけは読んだ感想で知ったかして埋め合わせる。こんな虚しい体験があるだろうか。だから俺は書評や映画評のようなものは極力しない。ブログの中はブログの中だけ読めば分かる話に出来るだけしたかった。どうしても児童文学とか小学生の作文みたくなるし、つまらないと言われるし、仕方ないことばかりなのだが、趣味のゲームの話だけはタイトルで内容が分かる人と話をしたいと思いながらも説明的に書いているうちに文字数が大変なことになるから、やっぱりある程度経験が近い人としか通じない話なんだと思い知らされることも多い。
この、経験が近いというのが今日のキーワードだ。
そもそも原初に置いて人間の体験は個々人毎に全員異なっているものである。そして、言語や文字の発明で人は経験を遺伝子以上の情報量で後世に伝えることに成功して文明を築き上げた。現代はどうか。現代は体験ではなく追体験や疑似体験がそのままその人の人生になってしまう人がいる社会だ。小学校から同じ言葉を習い、同じ本を読み、テレビを見て、同じものを見ても人々の抱く感想は確かに違う部分もあるだろうが、同じような体験を日本中の人がする歴史上類を見ない時代を我々は過ごしてきたのではないだろうか。
細かい話を置いておくと、体験の共通項が多い人の社会というのは多様な価値観が望めない社会だと考えられる。人民服よりは多様性があるにしてもテレビの芸能人の誰かに寄せないと誰とも認められない存在になる社会というのは恐ろしい。どちらかというと話というのは共感のためのものであると思っている。時に反対の意見を言い合って議論するのも決着すればどちらかの意見に話がまとまると考えられていた時代だったからだ。
しかし、俺が40年生きてきて話が通じると思う人間はみなキーワードだけで映像作品を連想して同じイメージを言葉だけで共有できる人間なのだが、時々分かったふりをして知ったかぶっている人間を分かっていると思って仲間にして裏切られ、何故それを分かる人間が裏切るのかと考えたら、分かっていなかったからだと考えるようになった。
反対に文字を起こすことをするより映像や絵を見るのに夢中になっている方がその本人の体験としては充実するだろう。
つまるところ今の時代は作者と読者視聴者が体験を共有できれば読者同士や視聴者同士の共有体験はファンレター程度の意味しか持たない。映画評論家のピーコさんは数千本の映画を見て批評を書いてくらいして老齢を迎えられる。もう、人によっては受け手のまま一生を終えることが出来るのだ。もはや何のために抗うかも誰も知らないままに。
このブログは恐らく俺の誰を相手にするとも言えないたったひとりの抗争なのだろう。活字を読んで育ち、その全てに騙されまいと自ずから活字を打ち込む。子供の頃に夢中で眺めたファミコンの画面を自分で作れるようになった。テレビまがいのこともビデオカメラとパソコンでやってみた。だが、誰に見られるともなく数字が増えるだけでは何も実感がない。ただ、活字だけは書いて残すと何かご利益があるかのような信仰心すら持っている。テレビは見てはいけない本は御本と呼ぶ、そういう時代に育ったから。いや親はテレビばっかり見て子供番組を見せずに本を与えて子供を勉強部屋に閉じ込めたのだけどな。
若者が音楽を好むのもケータイに夢中になるのも子供部屋にテレビが敷かれていないからじゃないかと俺は思うんだ。テレビ番組も大人向けのものが多いからね。だけど全ての子供が同じ教育番組で育つ社会というのも考えてみると空恐ろしい。実際どうなるかは分からないけど、何か良からぬことが起こりそうな気がする。それは多分俺が子供時代に見た教育番組が幼稚すぎるからだろう。子供の成長は早くてそれぞれなので、番組も年齢ごとにチャンネルが無いと成り立たないかも知れない。これは幼稚園や学校で先生が全員の面倒を見きれるかという問題に近く、コンピュータが普及してもそこまで問題は変わらないだろう。
1年くらい毎日テレビを見て過ごして、感じた違和感をまとめると以上のようになった。文字で書いても書ききれない不思議な感覚だ。テレビを見ていると映画の宣伝があって、お金と時間をケチらず見に行くべきか悩むが、今日はテレビでお待ちかねのメアリと魔女の花が放送される。映画は時事を含むことが多いのでテレビに来てからでは情報的に手遅れのこともあるが、田舎町で過ごす分にはそれでも良いような気はしてる。まあ、田舎町はイオンモールに客を取られてゴーストタウンになったこともあるが、最近少し活気を取り戻しつつあるようだ。ネットの町おこし利用はな。飲食店にしか効果なし。