「御用学者が数字で国民を騙している」は間違い

時折見かける言い回しですが、事象をデータで捉えて平均値や統計をもとに議論がなされた場合に「数学者はウソを付くために自分たちに有利な数字を出している」と言われたりします。
しかし、俺は本当にそこまで狡猾で老獪なひとが敢えて数学なんて使うのかな、と疑問に思うところです。
実のところコンピュータ科学には数学が必要な分野とそうでない分野が有り、自分は特に所謂「美しい数式」でズバッと解決するものではなく、馬鹿みたいにモノに番号を割り振ってしらみつぶしに数え上げる分野のプログラマーです。それで数学系の人から「雑用」「土方」「派遣」とバカにされてきましたが、戦争が戦略ではなく足軽の命で行われているように、コンピュータを使って何かを求める時にそういうしらみつぶしの手作業はなかなか無くならないのです。
そういう分野に長いこといると、計算がピッタリ合った時にそれは必要十分であり、数式で美しくまとめようにも現実がそうではないということが分かるようになっていました。しかし、数学系のプログラマーの中にはそのことが分からない人がいるのです。手続きなのか関数なのかということが分からずに、手続きを関数化しようと部分モジュールに分けてウンウンうなって考えているのです。
その時に「この人は答えの出る数学に騙されているのではないか?」と思ったのです。確かに数学を使ったコンピュータ科学の分野は式を求めるまでが大変で、しかし式であることが定まるとプログラムは短く、効果は自己展開的に大きくなり、作業としてはコンピュータが計算しているのを待つのみ、ハードウェアのスペックが上がるのを待つのみになっていきます。同時にそれはその計算結果を活用するために無数の手作業を生みます。
そうやって元々難しかった部分だけに没頭して、数式でものを考えて、数式にハマらない部分を雑用だと人に割り振っている内に数式にはなまらない雑用の手続きのほうが肥大化して、その手続こそが社会を形成する有り様の意味合いを持っている。もはや複雑化した実相をとりまとめて1本化する魔法の方程式は存在しないのです。
そして、ふと気がつくと頭がおかしいと思っていた数学者よりもプログラムで頭がいっぱいで擬似コンピュータ化した自分のほうが頭がおかしい。数学系の方から「それ、どういうことですか?」と聞かれて以前は逐一説明していたのですが、プログラムの入門書を読んで雑用の意味を知ってくださいとしか言いようがない。こちら側のほうがコンテンツ量として大きくなってしまったのです。つまり、実相は「なにか難しいひとつのこと」ではなく「ひとつひとつは簡単なたくさんのことの関係性」にあるのです。