それぞれのジャスティス

キムカッファンが初めて登場したのは俺が中学の頃の餓狼伝説2。

当時は愛国嫌韓であったので吉田栄作的ヘアスタイルのキムカッファンが韓国代表であること、それを見たゲーセン民から「お前、キムカッファンや!」などと言われて何となく嫌な気分がしながらも、餓狼伝説2自体は面白いと思って遊んでいた。

キムと言えば熱血漢で正義感を持ったキャラであり、当時の俺は清廉潔白で自分は悪いことなどしていないと思い込んでいるタイプだった。そういう俺にゲーセン民は悪いことを教えようとして、それが相手の思い通りにならず互いにゲームでやり合う。それでも相手が店のサクラなら俺を怒らせればゲームにムキになるので100円取れるという計算はあったかもしれない。

この熱血漢で正義感というキャラは分かりやすくて悪くはないのだが、日本は非常に治安がよく、それゆえ皆が純粋無垢に正義を保っていて一度でも罪を背負った人間は社会復帰を許されない居場所のない空気感がある。確かに犯罪は善良な市民にとては迷惑で、犯罪を正当化する気はないが、やんごとなき事情で犯罪に追い込まれた人が社会復帰できないのを利用してヤクザが無害な人に一度犯罪をさせて社会復帰できなくなった弱みにつけ込んでコマとして次々と犯罪を繰り返させるという裏社会の暗黙のルールはあると思う。

そういう意味ではキムカッファンはKOF94で登場したチョイ・ボンゲチャン・コーハンという2人の犯罪者の更生に尽力しており、在日韓国人は日本国民でないというだけで言われなく犯罪者のようなレッテルを貼られており、俺は姿が似ているという点でキムカッファン扱いされながら、当時はそれは嫌だったが、愛国嫌韓の人ではなくグローバル社会の人となるためには日本社会が排他的なのはなぜかと、排他的になる前の構成はどのように形成されるのかに今とても興味関心がある。

まあ、簡単な話、学校時代からの同級生に先輩後輩、就職してからの関係などがあって、新卒採用に漏れた人は正規雇用がなくハロワに行くしか無い、その経験をしたことがない所謂正規ルート民はウチラの社会を形成して排他的な対外的な正義を建前として保ち続けているよな。

実はゲームは日本国民は日本産だと思っていてアメリカ国民はアメリカ産だと思っているが韓国でも多く作られている。だからゲーム業界で働くというのは任天堂の正社員くらいまで行けば夢の花形であるが、大体はパチンコメーカーの脱税の片棒を担ぐような仕事だと思って良いかもしれない。善良な日本人が背負える業では無いのだ。

俺は清廉潔白な人でも愛国嫌韓も外国から見れば罪になる場合もあると考えている。主役のリュウを取って敵キャラクターを全部やっつけるのも面白いが、テリー・キム・ガイルというチームのキャラとしての立ち位置で遊ぶ面白さも分かってきた。

テリーとキムの掛け合いで「キム、話があるって?」「チーム名をジャスティスにしましょう」という台詞がガイルの入るチームで出てくるのが妙に可笑しくって。ガイルは軍人なので戦争とあらば殺人を犯す可能性だってあるのにジャスティスなわけで。

タロットカードのジャスティスにはタロット占いの本でどんな意味があるんだろうと引いてみると、天秤で罪を量って剣で裁く女神の絵が描かれている。剣で裁くということは死刑なわけだが、現代社会では大小様々な罪が量刑されて償った人間は罪を許される。そこへきて、罪を償った元罪人がどうやっても復帰できない排他社会ってのはどうなんかなと。

清廉潔白では天秤は片側に寄り切るので、アメリカのジャスティスと中華の正義では意味が違うとものの本で読んだことはあるが、中華の正義が義の有無の中庸であるなら天秤で量刑する西洋のジャスティスもまた釣り合いを意味するのでは無いだろうか。

ちなみにテリーの正義は単なる復讐だったはず。格闘馬鹿のリュウもカッコいいと俺は思うのだが、ゲームを彩る様々のキャラメイクの中で今の自分にテリー・キム・ガイルは合っているのかズレているのか間違いないのはどいつも日本人では無いことだ。レバガチャしてボタン押してぶん殴る蹴り倒すでなく、キャラの背景から外国の思想をたどっていくのも面白いかなと。

餓狼伝説でテリーの復讐はギースの死によって果たされたので餓狼伝説2のボスはヴォルフガング・クラウザーという謎展開なのだが、キムが出てきたおかげでボスに辿り着く前にやっつけないといけないやつの事情は何となく分かる。

それがジャスティスというチームになってカプエス2で戦っているのはな。まあ1990年代の格闘ゲームブームの波に乗らなかった人からすると謎展開だよな。だけどみんな仲良さそうに組んだり戦ったりしてるだけで充分に楽しいんだよ。


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