格闘ゲームを考え抜いて出たひとつの結論

カプエス2を起動してキャラを動かして1人用で遊ぶだけで色々と面白いので漫然と遊んでしまうが、ちょっとゲームをするのをやめてみて考えていたら良い結果が出た。

格闘ゲームはジャンケンである」は持論だし「ヒット確認とか言ってたのはどうなった」と言われるとヒット確認というのはジャンケンの後のあっちむいてホイの後出しのようなものと答えるかもしれない。俺はもうヒット確認や仕込みコマンドなどのありとあらゆるテクニックは知らないほうがそれで負けるのは当然だと考えるように変わったので、みなに教えて競技レベルを底上げしようとかいう球団監督のような思想は捨てた。ただ、答えが欲しい。

その答えに少し近づいた。ロジックなのか、コンピュータで言うとフローなのかシーケンスなのかオートマトンなのか、どうであれ全部ひっくるめて「これで全部」というリリースポイントを作ると、それは必ずより大きなロジックによって完封される。

ランダムであれ、乱数生成ロジックの逆読みになるだけで、元々がジャンケン的な三つ巴要素があるゲームのロジカルな攻略は成長が止まった瞬間負け確実なのだ。これをロジカルな答えとして導き出せたのは最近のことであるが、若い頃は「やめたら負け」だと直感的に考えてなかなかゲームをやめられなかった。

やめて止まってみることで自分の中にある三つ巴ループに気付いてそれをより上位から修正する。コマンドなどの練習はそれはそれで効果があるが、自分が特に重きをおいていたのが戦略面で、最初に書いたように球団監督のような思想を持っていた時期に自分より下に見ているプレイヤーが全員自分と同レベルになる所まで考え方を共有したいという欲求があった。

今の自分の欲求はなんだろうな。ゲームをそれ自体として楽しむと共に、収益性を持った副次的利用が出来ないかとか、ヨコシマなことも時々考える。だが、昔のゲーム業界が賑わっていた時期そのものがコンピュータに未来を思い描いていた出資者がいて研究の名目で遊ばせてもらっていたから面白かったのであって、ゲームを仕事にして作って売って儲けようとするとお金の巡りが反対になるから、扇風機のでっかいのを作って竜巻を逆流させるくらいのエネルギーが必要だと分かり始めてる。

てか、ゲーセンでバイトしていた19歳の時に店番をしながら毎日見ていたスーパーストリートファイターIIXのコンピュータはゲームの中に人が入って動かしているかの如く毎日見ていて飽きなかった。

プログラマーの先輩と酒を飲んだ時に「怒首領蜂が好きなんですよ」「またゼビウス作れって言うのかよ」「いやあのゼビウスの無機質な感じではなくて」「なんだと?ゼビウスの音楽って有機的だぞ!?」「・・・有機的ですか?」とやり取りしたのを思い出した。無機の中に有機を描くコンピュータの進化は多分基盤回路では無機だったけど、近頃はディスプレイから有機になってきているので、そのうちプロセッサとかも有機になって電気ではなく栄養とかで動くかもしれんな。

そうなると格闘ゲームの対戦相手も本当に生物になったりして。いや今でも台をはさんで2人で遊べば無機を通じての有機有機なのだが。ロジックとして固定した時点で負け確。有機だから面白い部分もあるし、有機を目指してコンピュータは進化したんだな。どこまで有機的に思えても本質的に無機質だからロジックとして他人と共有できるというのがコンピュータ科学の面白さという捉え方も出来るんだけど。