今日のカプエス2(バーンナックル見てからライジングタックル)

今日もカプエス2を練習。

キム・テリー・ガイルの順番を入れ替えてテリーとガイルを前に出してプレイ。

グルーブポイント稼ぎでは鳳凰脚などでヒット数を稼げるキムが最強だけど、テリーやガイルでも上手くやると優勝までにGP1500を越して真ボスを出せる。特にガイルでファイネストでなくGP1500のほうを達成するのを目標に遊ぶのが面白い。

テリー同キャラでコンピュータテリーのバーンナックルを自分のテリーのライジングタックルで返す。それもリスクの低い小ライジングとか大のカス当たりではなくバーンナックルが触れる直前まで引きつけて近距離になってから大ライジングが全段ヒットのタイミングで綺麗にカウンターが決まって気持ちよかった。

ガイル対ナコルルでもアンヌムツベを見切って大サマーというプレイが出来た。

この辺は自分でカウンターを体験したことの無い浅い人からは「バクチサマー」として貶されたことがある。特に中学の頃、ストIIダルシム対ガイルはダルシム有利で詰んでいるとガイル使いの先輩から避難されて「いや、行けますよ」とダルシムとガイルを交換してダルシムの伸びた手足をサマーで返すと「そんなんバクチやん!」と。

確かにあの頃は博打的なもので、中学生の自分に高校生の先輩を言い負かすことは出来ず、詰将棋のような手順や論理のようなもので決着したいという先輩の欲求が中学生の後輩によって阻まれて苛立ったということに過ぎないのだが、その時の先輩からの「バクチは禁止」というルールをその後の格闘ゲームライフに引きずっていた。

それでヴァンパイアハンターの頃に毘沙門のガードキャンセル鬼炎斬を使いこなしてゲーセンでつるんでいた相手がガードキャンセルでない起き上がり鬼炎斬を打って「そんなんバクチやん!」と文句をいうと「バクチで何が悪い?」と絡まれてケンカになって、その諍いは俺が就職して会社帰りにゲーセンに寄ると不良グループが嗅ぎつけていつも帰り際を狙われるという所まで、かれこれ10年くらい続いた。

進学校を出て不良に口喧嘩で負けるというのは悔しいが、バクチはいけないというのは俺が中学の時に高校の先輩から強いられたルールであり、それを先輩後輩という縦社会とは無関係のものに強いることは出来ない。

それでバクチ肯定派になったのかというと、バクチになるとシラケるという気持ちはありつつも、ストIIXのブランカのアマゾンリバーランをガイルのサマーで斬るのはバクチなのか見てからなのかということで論争になった。

この時に見てから派とバクチ派はゲームで勝っているのは見てから派で実際に確実にアマゾンリバーランを返していたが、見てから派は少数だったゆえアマゾンリバーラン対サマーで何度も何度もアマゾンリバーランだけをブランカがタイミングを変えて出して、それをガイルがサマーでどこまで斬れるかという実験が行われ、100回くらいやって一度ガイルが何も出していないブランカにサマーを空振ってしまい、ダウトとなった。

ただ、もしそれが五分五分から6:4くらいなら博打ダウトが成立しても99%成立しているなら見てから成立で良いと思うんだ。確実なものしか信用しないという石や金属のような硬さのもので人間出来ているわけではないし、集中力とかプレッシャーのよるミスはある。

同じような議論はストIII3rdのヒット確認でも起こり、ケンのしゃがみ中パンチ疾風迅雷は成立、豪鬼の立ち中キック滅殺豪波動も成立、だけど春麗の中足遅めキャンセル鵬翼扇はダウト、ケンのしゃがみ中キック疾風迅雷脚は出来ると言うと嘘つきという塩梅だった。

このへんはベン・ジョンソンの100m走フライング疑惑のときの他の一般人を使った反射神経測定によるフライングルールの改定と同じで、ほとんど多数派による政治的ルール介入と言って良い。公平さを求めるあまり出来る人と出来ない人がいるという身体的な不公平をルールによって出来ない人のレベルまで押し下げるという考え方だ。

ただ、それは突き詰めると「かけっこみんな一緒にゴール」みたく競技が競技である所以が無くなってしまう外圧であって、競技は競技としてその結果を序列として人間関係の上下に持ち込んではいけないという話なら分かるけど、競技そのものを茶番にしてしまえというのは筋が違うんじゃないかと。

だから、競技としてでなく個人的なトレーニングとして、見てからサマソ、飛燕斬、ライジングタックルでコンピュータ相手に返して遊ぶというやり方の中で昨日の自分より見切りが良くなっているという主観的成長観測が楽しいんだけど、対戦のルールとしてのバクチ禁止って近頃のEスポーツ業界ではどうなんですかね。

厳格な規定としての意味合いでなく、ちまたの野試合での風潮みたいなものでも。ただ、見切れれば強くなるのは確実だけど、見きれない人がイチかバチかに賭けすぎるとそこに穴が空いてズルズルと悪くなるという確実を求める派の意見も分かる。だから、見切れるのか見切れないのかってのは他人から見てどうではなく、当人がケリを付けなきゃならん問題。バクチで打って負けるやつは勝手に負けりゃいいし、見切って当ててくるやつにルールを強要して文句で勝つのはスポーツで言うと審判不正に近い。

まあ、とうに風化して忘れ去られた問題なのかもだけど、俺が格闘ゲームコミュで活動していた頃はよくそういう議論があったんですよね。近況としては以上です。