今日のカプエス2(芸術界と相撲界の違いというか)

久しぶりの友人から連絡をもらったのだが、彼とはいつも口論になる。どちらから始めているのか考えると、彼は俺が上手いこと言う前に昔に俺が言ったようなことを先に行ってしまうので「そやな」というと会話は終了する。それで話題が変わるのだが、自分の中でもどっちともつかない話題になると、彼が言ったことに俺は逆張りする。だから口論になるのだな。近頃はメールなどのツールのおかげで順序や何やと後から分析できるのだが、そういうものがない時代は口喧嘩をして喧嘩別れしてまた時間が経って仲直りして話をしてケンカになってを繰り返した。後になってみると苦言に思えたことが正しいこともあるし、口では負けたとしても自分のほうが正しいと思いなおすこともある。

ところで、今日のタイトルもまたカプエス2なのだが、Cリュウ・ガイル・ギースというチームで神豪鬼を倒してクリアできた。このチームはモンテカルロに通っていた折にサガットが一番強いと思っていたのでリュウ・ガイル・サガットかギース・ガイル・サガットかと悩んでいたら、岡山から来たプレイヤーが「リュウ・ガイル・ギース」と取ってきて、とても味がよく見えた。その人は対戦で強かったわけではないが、サガットが最強だからそれを取らねばならないという縛りの中で苦しんでいる俺にひとすじの光が差した感じがしたのだ。

俺は高校の文化祭で絵の才能を周囲から評価され、進路で美術系を進められながらもフリーター時代に美大系の落伍者のつながりが出来て専門学校で映像学科に進みながらも食っていくために資格をとってプログラミングの単位を全部取って美術の道は最初からあきらめていた。芸術界では誰でも出来ることを丁寧にやるより奇抜で先進性のある人が「それを最初にやった人」として評価されると考えている人に影響され、そこからプログラムの世界で雑用を受け持ちながら、翻訳物の本をたくさん読んでオブジェクト指向という技術をいちはやく関西に持ってきたのが自慢だった。

しかし、工業の世界は新しいことをやるより既存のものを丁寧に磨き上げるのことが思いの外に評価される世界である。そして相撲の世界というのは舞の海のように新しいこと奇抜なことをする人が受けた歴史もあるにはあるが、どちらかというと切磋琢磨に相手と同じことを取り合い、両者が近くなってきて最後には同じになった時にいちばん評価されるような世界ではないかと思ってみている。

芸術界の話も芸術家の端くれから聞いたような話なので、本当に丁寧にやっている人が新規性を持った人より評価が低いというのはテレビの見過ぎなだけではないかと思う。テレビを見るのは楽しいが、テレビ的評価が評価のすべてだと思うと大事なことを取りこぼす。

他人というのは無数にいて、関わる人との関係性とテレビや雑誌などの刊行物での取り上げ方をごっちゃにしているだけの話で、やはり身近な人に気を使うという当たり前のことを放っておいていわゆる天才のエピソードを自分に重ねていたらそれこそ猿真似かもしれない。