楽しみにしていた童子軍艦がゴブリンスレイヤーになった件

タイトルからネタバレてもうた。

まあ、世の中面白い話というのがそんなにたくさんあるわけでもなくつまらない話の中に面白い話があれば面白い話を元ネタにまあまあ面白い似たような話が大量生産されるわけだが、元ネタを知らないとまあまあ面白い似たような話ばかりに時間を取られてしまうのかもな。

そうは言っても面白いけどまだそんなに広く世の中に知れ渡ってない面白い話もあろうかとは思うものの、そういうのってそのままの形で世の中に広められるのではなく面白かったら元ネタとして隠しておいて読んだ人が作家だったらそれをネタにしてまあまあ面白い話にして出版してそれを世に広めようとする。

だから作家というのはコソコソとした仕事で作者がこいつだと割り出されればスマホ社会において作者の摂取していると思われる元ネタをこぞって皆が求めたがるというような事案は最近特にあらわになってきていると思われるのだが、童子軍艦の上手いところはゴブリンスレイヤーをパクりながら作中の人物が信長公記を手に抱えているシーンがあるところ。

よしよしコレが元ネタだなと信長公記を手にとっても多分少年たちは喜ばないだろう。いやほんと、元ネタ探しってわけじゃないけど、古文とか英文とかを読んで原文のままじゃわからないだろうから現代文にして面白い話にしてみせようってのはある意味で翻訳者の善意なのかもだけど、そこで翻訳者の意図から漏れた情報は原文なしでは失われてしまうわけで、真の善意は学校の先生になって生徒に英文や古文を教えることなのかもしれないな。

それは旨いもん作って客から金を取るのと弟子に料理を教えるのとの違いであって善悪とかで判断すべきでないけど、もてなしは善意の皮を被ったお商売だからな。真の善意のおもてなしになってしまうと店としては成り立たなくなるわけで。だけど、無愛想で旨い店と高いけど接客のいい店の間に店長のサービス精神で愛想が良いけど安い店というのも世の中にはあるから、商売としての愛想よりかは店主が根っからの善人であってそこから出される愛想というのは有りうるか。それは商売で愛想がいい店との価格競争に勝つだろう。

店主の愛想が鍛えられた料亭の主人の見よう見まねであった、みたいなのを許容できるならゴブリンスレイヤーを見よう見まねで週刊誌に織り込んだ集英社のマンガというのは安いのかも知れないよな。悪意的に真似ていると言い切れない以上は「パクリ」と表現するのは慎むべきというのが最近の俺のモラルなのです。