言ってることは間違ってるけど、やってることは正しいって話

 俺の中で長い戦争が終わったような感覚がある。

ツイッターを眺めていると「どうして戦争なんてするのか、将棋とかで決着する代理戦争ではいけないか」という話が少し持ち上がり「それで負けても実力行使されたら終わりだから解決になっていない」というオチで話は特段盛り上がること無く終わっていた。

この話は俺のゲーマーとしての長い戦いそれそのものを示していると感じた。

まず、話のオチのようにゲームで負けても無視して実力行使されるという例はいくらでもあるのだが、俺の場合は自分にある色々の能力に自分で気が付かずゲームが趣味だったので自分の特技はゲームしか無いと考えていた。そしてゲームで勝つなんて大したことない、ゲームは子供に悪影響を与えると言われていたので、立派な大人になって自分の好きなゲームはすごいことなんだと思わせようと密かに思っていた。

まあストレートではなく複雑な経歴ではあるが就職してそこそこのポジションに付いた時に職場の人間にゲーセンのゲームが趣味だというと、ある程度の社会的立場がある人の人付き合い特有の人の欠点を突くのではなくやさしく合わせて隠す姿勢でもっと周囲の人には「まあ、ミヤザワさん幼稚なゲーム好きですから・・・」みたいな空気になった。

それでゲーセンに繰り出すともとからゲームをしている人以外に身分の高い人の遊び相手としての客商売でゲームをする人というのがいっぱいできた。それでゲームが盛況で社会的に認められていると勘違いした俺は、俺が公務員だから周りが仕方なく幼稚なゲームに付き合っているという現実を忘れ、好きなゲームがいつしか何事をかを決着する代理戦争に成りうると考えていた。そのためにカネをだいぶ使った。

カネというのは怖いもので貧しい人というのは少しのカネのためにでも嘘を平気でつく。その状態で、意見が割れた時にゲームで決着して勝ったものの言い分を通すというのが俺の決めたルールになっていって、ゲーム大会をして勝ったやつが言ったんだからそうである、ということになってしまった。

しかしまあ、ロバートキヨサキの金持ち父さんを読んだらみんなが大富豪になるはずもなく、勝ったやつのいうことを聞いてもみんなが勝てるわけでもない。そうなってくると当たり障りの無いことを勝利者インタビューで言うやつのほうが角が立たず長持ちするのだが、時折に勝てば官軍でとんでもないことを言うやつがいたものだ。

そのうちのひとつが「カルドセプトはマジックザギャザリングより実力出るで!」という話であったりした。

俺が何より苦労したのは勝者を決めてそれを立てることより、勝者の弁を負けたその他大勢の人の間で間違いのないことだと浸透させるということだ。だいたい、負けたのだから負け惜しみのほうが感情面で強い。負け惜しみは負けて怒った人の弁であると本当に取るに足らない負け惜しみなのだが、いざ、事が代理戦争になってくると第三者委員会のように賢い大学を出て勉強に自信のあるやつがゲームを少ししかしないのに雑誌などを読んで真偽の程をたしかめたがるので、なかなかに正論の反論が返ってくるのである。

カルドセプトの場合も勝った負けたでなく勝率になって、乱数が絡むゲームの勝率と予測される最大最小の偏差とか、とにかく難しい数式を自分のブログに貼るやつとかがいるのだ。

俺のやったことは簡単だった「アイツが勝ってこう言った」ということを右から左にながすだけであるのだが、そのたびに「違いますよ!」と右のそいつのところでなく真ん中の俺の所に反論意見がいっぱい届くのだ。かなり色々と揉まれて思い悩み考えあぐねて苦しんだ。

しかし、代理戦争としてゲームで勝負を決めている以上は確率がどうであろうと勝って見せないと自分より右に出るものが残っている以上は意見を聞かないという姿勢のものだってたくさんいるわけだ。

膨れ上がった議論の中核にあるのはサイコロを振って怪獣のメンコをぶつけるだけの簡単なゲームなのである。俺の中で、やっぱこれで決着つけるって何か間違っているよな、と思ったところで個人的に戦争は終焉を向かえたのだ。

まあ、代理戦争という以上は勝つと発言権が得られるとか金銭がもらえるみたいなメリットがあったわけで、発言権はツイッターやブログのアカウントを作れば誰でも得られる時代なのでお金のことだけは自分で解決してもらう他ないですが、そうじゃなくゲームの相手をして欲しいと思ったら強い人を見つけて挑戦状を叩きつけなくてもネット対戦で辛抱強くマッチングを繰り返したら強い相手と当たるんですよね。

この時代においてサドンデスに近いトーナメント大会はもう必要性が少なくなり、確率的にもレートが高い人ほど試合数が多くて母数が大きいわけですから、本当に強いんだろうなとは思うんですけど、それが多数のエンジニアや投資家によって支えられていることを考えると、これこそ実質上の代理戦争なわけで、やりすぎ感しかありません。

俺の3DSのカルドセプトのAPは1000ちょっとです。そういう戦争が始まる前のゲーム好き仲良しメンツで多少のいじられキャラを我慢しながらDSの古い方のカルドセプトで「カルドセプトはマジックザギャザリングより実力出るって!」とか言ってたやつを今ならゲームでしばけるかなと、ちょっとだけ思っています。マジコンでダイス操作するならともかくカード集めた分量以外にどこに実力が出るんだと思わなくもないですが、その大局的にはちょっとのことを上を目指して少しずつ良くしていく感覚と正直退屈なゲームを繰り返す忍耐強さは間違いなく本物だったんだろうなと。

意見には反論しながら戦果は称えるという器用なことは出来ないものなんですよね。


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