電気が切れたら怖いですよ

台所の蛍光灯が切れると夜は真っ暗だ。

ウチには昔、天窓上がって親父の代でリフォームした時ってか今も親父は生きてるから親父の代ってのも変やけど、まあ親父の代でリフォームした時にモノを置く場所を増やして明かりを外から取る機構を取っ払って電気で全部出来るようにしたのよね。

そんで、大工さんとかに「いやあ、日当たりは大事でっせ」と言われても「そんなん電気があんなんから大丈夫や」「電球切れたりしたら?」「ぎょうさんこうて置いていたら良い」てなやりとりで、家は親父の注文通りになった。

そんで俺はというと日当たりの良い2階の部屋を自分の部屋としてもらったんだけど、隣の空き地がガレージになった時に窓の外に宣伝看板を作られて日が当たらなくなった。家中日が当たらず電気だけの生活になって、母親も「私あの吹き抜けの台所好きやったのに」といって悲しんでいた。出ていった原因のひとつかもしれない。母の居住スペースは基本的に台所だったから。

そんで昨日は蛍光灯が切れて親父が取り替えてくれたのだけど、今朝も切れたので自分で親父がやっていたのを見て覚えたとおりにハシゴを掛けて取り替えた。

近所のお寺の人がその話を聞いて「電気が切れたら大変ですなぁ」とイヤミ口調で言ってきたので、俺はお寺のやつが檀家参りを断っているから嫌がらせで電波か何かで蛍光灯を攻めて壊したのではないかと勘ぐった。立証できれば器物損壊になりそうだが、どこから発射しているかは分からないので、今のまま断定すると名誉毀損とか冤罪になるかもしれない。

まあ、親父の言う通り沢山買って置いてあるので、ストックはウチで生活する際には重要である。同時に隣のガレージがコインパーキングになった時に一度は裁判にもなった看板が取り除かれ、俺の部屋には日光が入るようになった。それで心はだいぶ落ち着いた。

俺は坊主が嫌いなので、親父の味方ではある。日光が大事なのは蛍光灯だけの生活をするようになった近代になって分かった問題だから、坊主どもが「ほら、言ったとおりやろ」みたいに言うのは当てずっぽうを言って当たっただけの話であり、昼光色の蛍光灯が発明されたように、そのうちパナソニックあたりからうつ病が治る蛍光灯が開発されるかも知れないな、と思う。

だいたい、仏教にはもとから分子論のように全てのものは細かい粒子で出来ているというお経があるというが、では仏教の根本概念である「無」もまた細かい粒子で出来ているというのだろうか。デタラメをたくさん言って、そのうちに当たっているものを引っ張り出してきているだけの話ではないか。

まあ、俺VS仏教には俺は俺が勝ったと思っているのでこのあたりにしておくが、だいたい徴税のような方式で生活して言うことを聞かない人間に罰を与えるだけでは公益性がない。お寺が電力の販売などを始めたからお坊さんのが偉いみたいな勘違いをしているが、電力は発電所から送電されているのでお坊さんは結局のところ檀家ではなく電気事業者の下請けから徴税しているだけの話で、お坊さんが居なくなっても工事業者が残れば大丈夫なわけだから、それでお坊さんが偉いことにはならないのだ。

だけど、俺は子供の時に檀家参りに来ていた坊主が嫌いなだけで薬師寺とかは嫌いではない。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」では筋は通らないのである。だから電気が切れたからと言って、そのことをからかいにくる坊主は早く解脱して真の仏になってほしい、つまり死ねということではあるが、それ以外の坊さんは俺からカネを取り立てないので良い坊さんなのである。