自分のモチベーションをコントロールする

今日は病院で定期検診。

冷蔵庫のヨーグルトを食べてパンがないのでコンビニに買いに行った。帰ると親父が起きてきてお正月のお餅の残りを焼いて食っていた。それが今日の朝食だったのか。

検診のあとマクドで昼食を買って帰ってダブルチーズバーガーを食べてカプエス2。

昨日はノーミスで裏ボスを倒し大変に気持ちい状態で終われたので、もういちど取り組むモチベを作ってゲームを続けるのに抵抗があった。

予想通り、いちど高得点をマークすると自己ベストが出ないどころかノーミスクリアすら逃すこともあり、悶々とした状態でゲームを終え、タバコを吸ってコーヒーを飲んで落ち着こうとする。ゲームに気持ちを左右されている。ここは気持ちよくなるまでやって終わるべきかと考えたが、ゲームの勝ち負けだけで動揺する自分の芯の弱さを克服するチャンスだと思ってゲームを再開しないで心に問いかけて気持ちよくなるまで考えてみた。

すると答えは見えてきた。

ダルシムにしようと決めて練習に取り組みだした時はゲームの全てがみずみずしく楽しめた。しかし、繰り返すうちにルーティンになり、結果だけに囚われている。得点につながらないルーティンを全て自分でダメ出ししてしまっているせいだ。

もっと自由に遊べるはず、キャラもグルーブも、勝ち負けも、全て絵が出て画面の中で動いているだけだ。相手がランダム要素のあるコンピュータである以上は自在に絵を出すことは出来ない。しかし、ある程度は振れ幅の中で思い通りになる。まだコントロールが甘いのだ。

何故Pダルシムにしたいのかというと、ダルシムブロッキング中パンヨガファイヤーを決めたいからだ。しかしスコアのためにはブロッキングを無理に決める必要はなく、その範囲での自己ベストしか出せておらず、ブロッキングを狙うと一時的にスコアは低くなる。それが一時的という感覚をまだ持てない。3年以上続けた中で出た全キャラの自己ベストにPダルシムでは遠く及ばない。だが理論値としてはもっと出るはずで、そこに到達できない自分を情けなく感じて自己嫌悪に陥るのだ。

つまり俺は自分で思っているほどまだ上手いわけではない。それでも、充分に上手く見えるプレイを出来ることはある。それはあるいは運に左右されるかもだが、狙わないと出るものも出ない。あせらず続けること。

それで、気を取り直してプレイしてレシオ2バルログやレシオ4ギースを相手にもっといい試合をとボスまでの道中をルーティンから外して遊ぼうとすると昨日の楽しさが蘇ってきた。ローリングクリスタルフラッシュをブロッキングしてみたり、ギースのジャンプをヨガボルケイノで落としてみたり。まだまだ、見たいダルシムがある。

朝にはテレビのニュースを消してゲームをする意味を考えていた。ニュースも見ないでゲームをしていると世の中から取り残されるかも知れない。だが、トップアスリートというのが情報番組や経済新聞をチェックしているとも思えない。偏見かもだが、世の中というのは広い世界をくまなく指す語でなく、文化人の流行しか指していないわけで、社会参加の必要条件に上流社会人に下流社会人が接するには小さな業界のトップである必要があるような気がしていた。だから格闘ゲームなら優勝してナンボ、みたいな。

でも、そうじゃなくて近所のレストランにティータイムに行ってパンケーキ食ってツイートするだけでSNSには参加できる。自分に付き合う用意があるかどうかだけの差なのかも知れない。

とにかく、ブロッキングダルシムをもっとやり込むことにした。ダルシムがブロッてる。それだけで面白い。