41歳になってしまった

41歳である。

「40歳のこと、何ていうんですか」「不惑でしょ。四十にして不惑」「えー!いまどきアラフォーでしょ?ちょっと古いんちゃいますか」「アラフォーももうそろそろ古いんちゃいますか」しかしまあ、40歳と言っても39歳11ヶ月と40歳で生体的な差がどれほどかというと、アラフォーくらいのほうが現象を捕まえるのに便利かもしれない。不惑だからと惑っちゃダメみたいに思い込む必要はない。

「男子三日会わざれば刮目して見よ」というように子供の成長というのは速いもので1年刻みどころか3日でも大きく変わってしまうものではあるが、40頃にもなると成長も老化もゆっくりとしていて、2年3年変わったからといって何の変化もないものである。これは3DSのモンハンとスイッチのゼルダがどう違うのか買い控えてしまうのとよく似ている。スーファミとプレステとかメガドライブセガサターンは随分と違うものだった。

41歳になってみると結局俺の40歳は本当に不惑だったのかとストリートファイターのことを思い出して、右手と左手でジャンケンをしてみた。俺はジャンケンを両手でするとだいたい右が勝つように出してしまう癖がある。そこを矯正して左手を勝つようにするとぎこちなく、時々間違うこともある。慣れの問題だとは思うが、馬鹿らしいことにネオジオのコントローラを2個買ってひとりで右のリョウサカザキにジャンプキックを出させて左のアテナでガードキャンセルシャイニングクリスタルビットを繰り出す練習とか、していたこともあった。20歳当時は格闘ゲームも下火になりはじめ、相手がおらずひとりで研究や練習をしていた。

右手と左手でどちらが勝ったというようなことはあまり拘らない。どうして右手と左手でやるのかというと、コンピュータが相手でも人間同士でもなかなか決まらない自分の思い描いたシチュエーションを見てみたいからだ。その頃の格闘ゲーム界隈ではコミケでビデオを買ってみるという楽しみ方があった。俺は撮影機材を持っている人にネタを提供していて、なんか売れているのを横目にこっちは儲かっていないと思っていた。

それが業界人となって、業界が専売特許から万人がコンピュータを持つ時代、テクノロジーは作り上げる時代から利用される時代となり、人に映像を見せるために設備投資を惜しまない人々の生き方は儲けているというよりはサービスをしているが如しで、俺は最近それを見る事が楽しみになっている。

誕生日なんてのも、原始時代には暦もなかったわけで、グレゴリオ暦が出来て日本にも暦が来て旧暦から西暦に変わって、豊かになった社会で子供を祝うために出来た風習のようなものであるが、一般行事ではなくそれぞれのお父さんお母さんが我が子を思い笑顔のためだけに準備をしてロウソクを吹き消したらあとはいつもよりちょっぴり贅沢な食事、それにプレゼント。だけどそのひと晩は子供にとって生まれてきたことを喜ぶ一生の宝で、人生に意味を感じる大切な儀式のようなもの。

41年もの記憶をいちどに思い出すことは出来ないけど、今日はお母さんのことを思い出した。41歳で40歳を振り返っても何もなかったように思うんだけど、3歳とか5歳の頃には誕生日のたびに色々なことがあったんだよね。


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