リンカネーションを考える、その2

最近、資本主義と共産主義の戦いはその思想の正しさで決着したわけでなく、冷戦によってものを作る国と商売をする国で軍隊同士が戦って、100万円持っている人が鉄砲を作った人から100万円で鉄砲を買って撃って殺して100万円を取り返した、という話に思える。

だから強いか弱いかという話でしか無く、撃って殺して奪い取って暮らすという話は人が自分しか居なくなったら終わりであり、グローバル社会でアメリカが落ち込んだのはやっつける相手が居なくなってきたからという話ではないか。ソビエトや中国は真の共産主義とは言えないと言いつつ庶民は何をしていたかというと国営農業をしていて、どんなに金があって軍隊が強くてもどこかで農業をする人がいないと農作物には当たらない。

あくまで、農作物に当たらないだけで畜産海産を繰り返せば武器を作って獲物を探すだけでも暮らせるのかも知れないし、最悪人を殺して人肉を食えば良いかも知れない。

話をカルドセプトに戻すと、リンカネーションは「手札をすべて捨て捨てた枚数足す1枚のカードをブックから引く」というカードである。一見すると唱えて捨てた枚数を引いているだけだからホープで2枚引くほどのカードアドバンテージにもなっていないのだが、1ターンに最大6枚の手札交換が出来るので効果としては大きく、枚数によるアドバンテージでなく盤面での有用性と残りブック管理が出来る人向けの難しいカードだ。近頃その強さがあらためて分かってきて嬉しい。

カルドセプトでどうやって飯を食うかというと他の仕事をして出来た暇でカルドセプトをするしかない。それはカルドセプトで食っているとは言わず、食ってカルドセプトをしているのだ。

だが、カルドセプトが全くの無駄かというと繰り返し遊んでいるとそろばんに強くなる。最初のうちは怪獣のパワーとタフネスばかり見ていたが、召喚コストに地価に通行料に護符価格というモノポリーの側面が考えに染み渡ってきて、同じ収入でも使い方が上手くなり、暮らしが良くなって来ているように感じる。

カルドセプトを100試合やったと自慢すると、ネットには1000試合やったという人がいてマウンティング合戦はかくも大変かと思いつつも、あいつらどうやってゲームを1000回する暇を捻出したんだと一度は考えた。そこからさらにカルドセプトを100回やったらもっと暇になった自分の経験を延長して考えると、あと100回やったらもっと暇になって、さらにもう100回でもっと暇になる、という繰り返しで俺もとうとう600回遊んだ。

ゲームブログとしては色々のゲームを紹介するほうが良く売れて儲かるかも知れない。だが、俺はカルドセプトをやり続けて「フリマでカルドセプトを700円でゲットした」というツイートを見つけては「だんだんとお金を使わないで遊ぶ仲間が増えてきたぞ」と密かにガッツポーズを取っているのである。

共産主義というのも戦争で負けたせいで考え方が否定され、資本主義と融和してもっと新しい政治思想があるのかもしれないが、国政の在り方として他国との戦争に勝ったか負けたかが主義の正しさであるとされるなら、それは軍隊の強さや地理の問題であって、内政の主義の問題にしてしまうのは論点のすり替えじゃないかと思っている。

だから、共産主義が古いと言われても、俺は日本共産党に1票を入れたことがある。選挙のたびにたかが1票ではあるが、共産に入れたり公明に頼まれて入れたり普通に自民に入れたりテレビを見て立憲や維新に入れたりするのだが、いったいどうすれば市民の立場で正しい思想を見極めることが出来るかというと勉強だと思う。いや違った、カルドセプトだと思う。えっ!本当にそれでいいの!?