カルドセプトを600試合やったわけだが

600戦485勝で勝率80%

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もはや勝率とかどうでも良くなってきた。

500試合までは確かに自意識の中に勝率があった。だが、ツイッターを見ていると「勝てねぇ」「つまんねぇ」という話をしている人が妙に引っかかる。

同級生の吉井君は勝負事で負けると「おもんない」と言ってごねてくるが、じゃあ吉井くんは面白いやつなのかというと、ひとりっ子でお小遣いが多くて一人遊びが上手な人だった。だから、吉井くんと対戦型ゲームで遊ぶと大抵俺が勝つけど、そのたびに「おもんない」の次には「じゃあこれやろうぜ!」とどんどん新しいゲームに移っていく。

その中でファミコンからスーファミにプレステにと買い替えて行き、遊び終わったゲームはというと中古ゲームショップに売りに行く。中学くらいの俺は「親からもらった大事なものなのに」という思いがあったが高校くらいでは「それよりついていきたい」という思いで高額買取の誘惑に負け「カラテカ」と「ポートピア連続殺人事件」を中古で売ってしまった。このことは一生の後悔となり、数年前に300円で同じソフトを買い直したが、お父さんから買ってもらったプレゼントは一生返ってこないだろう。

それは吉井くんが東京に引っ越してしまったので、同級生とか遊び相手というのも一生の付き合いというわけでもなく、一緒に住んでいる親父に対する感情移入度が高いからだと思われる。まあ親父もいずれはだけどさ。

吉井くんにもカルドセプトをすすめたことあがる。3DSで出た時に久々に電話して「なにか面白いゲームないか?」「カルドセプトはやったことある?」「ない」「3DSとXBOX360で出てるで」「お前どれ持ってんの?」「3DS」「じゃあ俺360のほう買うわ」「なんで一緒の買ってくれへんねん!」「お前とやったら負けるから嫌や」このやりとりに全てが集約されているような気がする。

さいきん、また遊んでくれる人が出来たので、それはゲームの相手ではなく暇人の俺となんとなくつるんでくれるだけの仲ではあるが、そうすると誰かと過ごす時間とひとりで遊ぶ時間のバランスが取れてまたゲームが面白いのだ。

まあ、写真をもういちど自分でよく見ると「カードマスター」の称号を獲得している。ネット対戦では2人の「ジ・アルトラ」と出会った。充分な気はする。

俺の心の中にも「マイ吉井くん」がいて、あんまりつまらないボロ勝ちをすると「マイ吉井くん」が「おもんない」と語りかけてくる感じで、対戦ガチ集団の中で勝ち抜く時にその気持が若干の邪魔をしているように感じることがあり、ブックワームとピースのコンボはおもんないし、対策するとマジックボルトを入れることになってハマると超強いけど対策されると脆い組み合わせで3人4人戦にそれで他の人に優勝を取られるともひとつおもんない。

だけど、そういうおもんない勝ち方をもっと突き詰める大橋くんという専門学校の同級生のもっとおもんない人がいて、その大橋くんすら俺とドラゴンクエストモンスターズでバトルした時は「3人マダンテはおもんないで」「いやだいぼうぎょで余裕っしょ」「もうミヤッピとはやらん」と言ってきたのだが、カルドセプトでは大橋くんのほうがカタストロフィブックでおもんなかった。

だいぼうぎょ」と「マダンテ」を覚えたファミ通ブンブン丸は雑誌対抗戦を勝ち抜きスクウェア・エニックスチームの「マダンテ」を「だいぼうぎょ」してマダンテで勝ってしまったので、俺も何を目指しているのか分からなくてドラクエモンスターズをやめてしまった。ドラクエモンスターズ2も出たが、その頃には就職して忙しくレベル上げとか出来なかった。

だから今こうしてゲームをする時間がある生活に戻れたことはある意味で失った幸福を取り戻したようだ。高いお給料をもらって良いマンションに住んでも何か虚しく、結局いちど実家に64を取りに帰ってマンションのテレビで遊んだ「罪と罰〜時の継承者〜」がやたら新鮮で面白かったのを覚えている。

ゲームだけでは満たされないこともあるかもしれないけど、他の用事を全て片付けて安心してゲームに打ち込むのは面白いし、それに付き合ってくれる友達というのはそうそう簡単に「ネットで知り合った」とかで出来るものでもない。

ジ・アルトラも何十人も対戦してやっと見つけた2人だけど、仲良くなれたわけではないからね。それでも、いまこうしてブログを書いている一人の時間に不思議と寂しさを感じなくなったのはちょっと心が健康になってきたサイン。

「おもんない」「ごめんね」「次何しよっか」「俺、カルドセプトもっとやりたいんだ」「じゃ、付き合ってくれる人探そっか」「カタストロフィでもいい?」「それはイヤ」「それはおもんないで」