どうしてRPGからトレカに行ったのか

ドラクエモンスターズポケモンを1人用のRPGとして遊ぶとドラクエ5とそう変わらない普通のRPGなんだけど、ゲームボーイの通信機能でセーブデータ1個のカセットを持ち寄って対戦して遊ぶのは当時としては新しかった。

まあ、単純にレベル上げを頑張ったほうが勝つのであるが、両者レベル99になってくると、相性や特技などの育成中の組み合わせで結果が変わってくる。

そのため、レベル99にして負けた方は対戦をリベンジするためにまた新しくモンスターを1から育て直して相性の良い特技を持ったレベル99のモンスターを作り直す。

その枠にハマっている間は育てることもRPGとして遊べるわけだから楽しいのだが、繰り返すうちに飽きてくる場合もある。育成はやがてゲームとしての色を失って作業になってしまう。

そうした時に、キャラを育てて成長過程で特技を身につけるのではなく特技を1枚のカードにして、組み合わせの妙を競い合うカードゲームは育成の必要がなく特技の組み合わせだけを取り出して、それに専念できるので効率的だと言える。

だが、フタを開けてみると、カードゲームのカードを全部揃えるというのもレベルを上げる過程に似ていて、レベル99同士でバトりたい人がもともと少なかったように、レベル20に相当するようなまばらにしかカードを持っていない人がレベル50くらいに相当する強いレアカードを引き当てた人に負けて「そんなカードずるい」と不平を漏らすという事案も世界の一部には存在するようだ。

それと正反対なのがネットゲームMMORPGの世界である。カードゲームは平等であるという前提は突き詰められた平等の中での効率であるだけで、持てる者と持たざる者の不平等がカードへの不満となり、誰でも一定に経験値を貯めるRPGのルールで貯めた数字の大きいほうが勝つルールのほうに公平性を感じている人がMMORPGに夢中になるようだ。

カードゲームはパックを開けて当たり外れがあって、それらはやがて全枚数保持に行き着くのだが、早く当たった人がまだ当たらない人を負かしているという思いがあるのだろう。

俺はMMORPGには興ざめになってしまったが、トレカの世界でコンプリートした状態で今より強いブックがあれば、育成ではなく組み合わせだけで後からそれを真似できるので、知識として付けられた差を見るだけで埋めることが出来るという効率的というよりも虫の良さみたいなことを感じている。全部持っているからかかってこいである。

そのため相手はおらず、マジックザギャザリングの強い人は近年のカードだけで戦うスタンダードルールよりも20年のカード全てを使えるレガシールールにも人気が出てきているようである。これはもう物理的に集めるのが困難で、400種の組み合わせで戦うカルドセプトなら太刀打ちできても数万種から選べるマジックザギャザリングのレガシーには既に興ざめになっている。

これと同じことをカルドセプトを買ったばかりで50種しか持っていない人と600試合やって400種5000枚持っている自分に対しても多くの人が思っていて、400種1600枚揃えればあとは組み合わせだけになるから公平に対戦できると言っても、まず50枚と1600枚の差に嫌になってしまうのだろう。

そうすると、トレカよりも将棋や麻雀のほうが間口が広く奥が深いということになる。RPGからトレカへの話をするつもりが将棋や麻雀に至るまで書いてしまったが、そういうことなのだ。

ゲームプログラマーと言っても、ゲームのルールは既存のRPGFPSゲームで、ルールを作ってコマンド画面やアニメーションの無数の雑用を肩代わりしているだけであるから、そうでなくてもっと将棋と麻雀のルールが分厚いようにアニメに頼らずゲームのルールが公平で奥深く飽きが来ない骨格を作りたいと考えていたが、それはまだ叶っていない。

時々、トランプを出してきて大富豪やポーカーのように簡単でもっと面白いルールは無いかと考えるのだけど、1600枚揃ったカルドセプトがそういうゲームだと認識されず、持てるものが持たないものに勝るだけのゲームだと思われていたら残念だ。