「将来どうなりたい」なんて描けるやつなのか

最近ギターの稽古の時間を増やしているのだが、それで将来上手くなるとして、じゃあその上手くなった腕でどうしたいかということも考え始めた。

大体の人が将来像だと思っているものは現代と将来が大して変わらない停滞期の時代を生き、その中でその年数分だけ年上の人がしている役割の中から自分がなりたい役割を見て思っているだけではないだろうか。

では俺はそうではなく将来像が見えると言うのだろうか。

俺は学生の頃に宮本茂に憧れていた。分かりやすく言うとゲーム雑誌に顔写真が載せられている「スーパーマリオの生みの親」である任天堂の技術者だ。そして就活の頃には任天堂に企画書を出して、描いたものはゲームボーイの時代に有線ケーブルだったものを無線に変えて4人で世界の全然違う場所で一緒にゲームをしているという絵だった。

この発想自体はDSとかモンハンとかポケモンGOで実現したわけだが、企画当時にゲームボーイと携帯電話を見たから描けた将来像である。それ以前に無線技術者で同じことをもっと先に考えたものがいて、それが戦争のためのものから民間の玩具になっただけのことであるが、例えば戦争時代には将来平和になってほしいと皆が思っていただろう。

俺は任天堂にのぞむ形で、つまり宮本茂のようにファミ通に載る形で就職できたわけではないが、ファミコンの下請けであったシャープの派遣社員という形でPSPの関係者のごくごく一部となった。

それ以前はソフトハウスでプログラムモジュールの組み換えをしたりNTTでお侍つまりビルにスーツで入って座ってつまらない書き物をして寿司やら定食やらの上等のやつを割高価格でランチに食べて周りに集まってきた飲食店にお金をばらまく仕事などもしていたが、入館証の管理や会社帰りに繁華街の女性が接客してお酒が出るような飲食店に行ってはいけないなどの細かいルールが守れずに辞めた。

PSPってシャープでなくてソニーだろと多分読んだ人は思うし俺もそう思うのだが同じサイズの液晶パネルのシャープ内での開発コードがPSPだったので俺はそれをPSPと呼んでいたし、ゲーム機のPSPと関係があるのかはPSPの工場を突き止めないと何とも言えない。いち従業員が知れる範囲のことというのはその程度のことだ。

そうなってから、出世するまで会社の中で辛抱するということが出来なかった俺は女性の接客するカラオケ店やアマチュアバンドが演奏するライブハウスなどに出入りするようになった。音楽に対するあこがれが捨てきれなかったからだ。

だから今、将来どうなりたいかをあらためて考え直そうと思っている。目指した地点を思い出すと、俺は確かに学生の頃思い描いたように部屋にいながら世界のどこにいるかわからない人と3DSでモンハンをして遊べたわけだ。その絵は「宮本茂になりたい」という思いを持ちながらも正直にそう書かずに「任天堂で何をしたいか」と問われて「こんなことがしたい」と嘘をついた将来像と全く同じなのである。

やっぱり、正直に考えないといけないと思う。「どうせ俺はこのくらいだからこのくらいでいいや」と思って生きていると、それを維持することで経年劣化していく。

もうちょっと斜め上のビジョンを今から10年後20年後に向けて描けるだろうか。