今日のカルドセプト(斜陽の3DS無印を今更語る)

カルドセプト3DSを何年も掛けて600試合以上やってるんですが。

久々に出してきてブックを眺めてみると、既に極めたと思っていたセーブデータのブックが久しぶりに見ると全然極まっていなく見えて。

600試合って結構な試合数だとは思うけど、まだ自分の中にゲームを攻略する上での確固たる軸みたいなものが無くて、あっちが良さそうこっちが良さそうで揺れて、飽きたところで煮詰まったと思っただけ。そこが理路整然とするまではやり込もうと。

どんなに運を避けて論理を築き上げようとしても運のゲームに対する論理は砂上の楼閣で、カードを引く確率はブックで変えられてもサイコロの確率はブックでは変えられないわけで、運に抗おうとするよりは運と付き合おうとするべきなんですよね。

まだ、人から理由を聞かれると好きだからとか何となくな部分が残っている。そこを「なぜなら」でしっかり裏打ちしたブックを組み上げたい。強いか弱いかはさておき、コンセプトが明確で相性が良いカードが組み合わされ、1枚たりとも理由がないカードが無いブックというのは眺めて気持ち良くなるもの。

それはゲーム中に勝利以外の目的を持って遊ぶ時に、何をしたいかによってどんなカードの組み合わせにするかはバラバラで、負け惜しみに聞こえるのを承知でいうと大会やリーグで決まるのは優勝ブックであって最強ブックというわけでは無いんですよね。

そういうことかというと、ジャンケンで最初に何を出すか決めて相子のときだけ次の手に変えて良いというルールでトーナメントを組むと優勝者は決まるけど、その出し手がグーチョキパーの中で最強であるという論理は成り立たないと思うんです。

まあ、同じグーでもより良いグーを目指すことは出来るというか、400種のカードから50枚の部分集合を作るわけだから、ジャンケンより多様性があるけど、相性というのは追い払いきれない。

俺もランキング戦に3シーズンくらい参加して、優勝したことはあるんですけど、総合ポイント制では常連さんに及ばず。何割勝ったかでなく何戦したかで、期間中に自由に3人から4人集まって試合数に比例してポイントが高くなる仕組みだから、夜型の生活をして帰宅時間から深夜明け方まで連戦する耐久レースになって、ランキング開催期間中ずっと貼り付けた人というのは数人で、その持久力に対しては文句はないんですが、人をそうさせてしまうルール設定には少し文句を言いたくなります。

何を悩んでいるかというと、シーズンが終わって優勝者が決まって優勝ブックが最強ブックと言われても、優勝ブックに勝てるブックは比較的容易に作れるので納得がいかなかったんですけど、文中ですでに述べたようにジャンケン的だと捉えると答えのない問題を解こうとしている。候補の集合はあっても単一の解にはならないのかなと。

ただし、麻雀のようなゲームでも14牌だけの何切るでは計り知れない河の読みがあるようにカルドセプトでも勝つために改善できる要素はまだもう少しあって、自分にそれを足して満足してやりたいみたいな思いはあります。まあ、あとは自己満。

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昨日はバルダンダースに秘められた可能性を掘り下げていました。

ピケットハンデ8までこのレシピで勝ってます。出来ることならランキングのようにもういちどガチでやり合う相手がほしいけど、カルコロには混ぜてもらってないし、なんか人の輪に上手く入れずいじめられそうな予感がするので怖いから参加できない。

負けても起こったり拗ねたりしないコンピュータ相手だから実験に没頭できる。反対にハンデ9とか10は特殊なブックで挑まないと負かされるからあんまりやりたくない。久しぶりの新鮮味も丸2日も経つとおさまってきましたよ。

マジックザギャザリングの代替品として小遣いの節約のために始めたカルドセプトなので、やはりどこかで本丸はマジックザギャザリングのトーナメントであるって心残りがあるんだよな。後日になって振り返ると、流行ってない時に普及に尽力していた人々のお接待が楽しかったんだろうなって思うんですよね。

なんつうか、ランナーズハイじゃないけどカード眺めてグワーッて考えてる時に出る脳汁の中毒かなんかなんですよ。