常在菌が体内に最も多いということから考えるカルドセプト

カードゲームのメタゲーム理論と体内の細菌バランスや自然界の生態系バランスがとても似た問題に思えてくる。

弱肉強食に思える自然界もミクロになると強者の猛禽類の死骸が微生物の餌や植物の肥料になって食物連鎖として循環している。

循環していると言いつつも猛禽類が強者であると捉えるのは人間の主観かもしれない。襲われて怖かったというDNAに組み込まれた経験や、目に見えない細菌類に対しては後天的な知識を持って初めて怖いと思う。子供は何でも口に入れてしまうが親から「バイキンついてるで!」と怒られてあらためていくというように。

何が最強かはブックの相性が循環するということを立証できればひとつに定まらなくなる。しかし、何がいちばん多いかと考えると初期ブックから初めてカードを揃えていくわけだから、ゲームの流行っていく過程で初期ブックがいちばん多いという論理なら成り立つのではないだろうか。

つまり、俺はゲームをやり込んで強者を探しそれに打ち勝とうとしているが、そもそも少数派なのでたくさんのゲームのルールすら知らない人にはカルドセプトで勝とうにも持っていなかったりするわけ。だからゲームに強くても効き目があるはずがない。口喧嘩で負けると情けないしファッション性で負けるとダサいしそれで負けたって俺はカルドセプトでなら勝てるんだと言っても持っていない細菌には薬の受容体も無いわけだから効かない。勝てない。

ひとつだけ、文章の中で飛躍がある。最も多いのは初期ブックと書いたが、最も多いのは持っていないとか知らないである。つまり「大会で優勝」というと持っていないには感心する人と「そんなものどうした」と逆上するひとなどがいるが、いざ持ってみると初期ブックになるので持っていないほうが俺にとっては手強いという論理は成り立つ。

だがまあ、俺には家がある。社交場に出ると駆逐されても家に逃げ帰って引きこもっていれば殺されることはない。ゲームの売上が増えても同類が増えるわけでなく「コンピュータのサイコロがイカサマだ」という細菌が増えて常在菌になるだろうからな。