大和郡山で遊戯王が流行ると庶民の財政を圧迫する

俺はマジックザギャザリングのデュエリストとして、大会に勝った後はスポーツ選手がコーチに回るように子供にルールを教えて手ほどきをする人になっていきたいと考えていたことがある。

それで、近所ではいっとき流行になって町にデュエルショップが2件出来て、やがてマジックザギャザリングの流行が集英社のジャンプ漫画である遊戯王コナミのゲーム化によって漫画を読む子供と親の目から見たら遊戯王のほうが本物であるという風に塗り替えられ、マジックザギャザリングのショップも無くなってスーパーのおもちゃ売り場に遊戯王のパックが名残として残るのみとなった。

それから俺は大阪や京都に出向いてデュエルをして、東京にもデュエルのために行くという馬鹿なことをしていたが、ある日から考え方が変わってきた。

大会に勝つのに確率で考えると孤軍奮闘より団体で出てその中から勝者を出すほうが見込みがある、ではチーム大阪に入れてもらえたか、東京のデュエルショップで鎬を削れるかと考えた。その前に家が奈良なのだから、まず奈良を何とかしないと近鉄JR西日本に入れているお金を奈良のデュエルショップに入れようと考えるようになった。

ちょうどゲーム「三国志」や「信長の野望」で奈良の武将になったという感覚だ。

奈良の三条通のベンテンドウや八木のひばりやに足を運び、子供達とデュエルする。にーちゃんオッサン仲間も出来た。そして、三条通りでは嫌がられ、八木では喜ばれた。

三条通春日大社や大仏殿にアクセスの良いみやげ物通りで、観光客目当ての商売をしている店が多く、そこに近所の子供がよってたかって外国のカードゲームに夢中では街の雰囲気が台無しであると考えられたのかもしれない。嫌がられた。

八木は退屈な街で、デュエルに集まった人が近所で飲み食いするので繁盛しているという感覚で喜ばれる。繁華街は人が寄ってナンボである。

そして、今はなくなってしまったが大和郡山の場合はどうだろうと考えると、観光客でなく地域の子供がゲームにお金を使うとなると、市政の大まかな方向としては住民の税負担のような公益性のない消費になってしまわないかと考えるようになった。

好きな人が買って遊ぶ分には自由だけど、街を上げて応援して欲しいなどと大規模に考えると、どうもって言っても街の人のメリットになる方向性が見えてこない。

では八木ではなぜ喜ばれるのだろうと考えると、奈良の武将であると妄想していた俺は大和郡山市民であり、八木にお金を持っていったら奈良としては大丈夫でも市としては損なのである。もちろん、それを大阪、京都、愛知、東京などに持っていくとなると奈良の大損である。そもそも、マジックザギャザリングの興行自体が海外旅行のガイドのようなものだから。国としてはカードの購買も輸入だから損と言えるのかもしれない。

ひとまず、カードの売買や他人とのデュエルはしないでひとりで研究を続けようかとは思っているが、何を研究すると言っても既に煮詰まっていて個々の新しいカードを読み込む程度の仕事しか残っていない。

「やめるべきなのかな」と思った。夢中で遊べるピークは既に過ぎ去ってしまった。