マジックザギャザリングのプレイングと手札の読み合いについて

今日は久しぶりにカプエス2としたので格闘ゲームの記事を書きたいが。

ブログの下書きをながめていると他人には言えないこと、しかし他人に正確に説明するには明かさなければ理解されない秘密が一体となった記事をアップするかどうか悩んで保留している間にアップロード日付の無いいつだったかわからない日記になった。

ブログはあらゆる人の目にさらされるので、俺が上から目線で書くと俺より戦績の良いプロプレイヤーなんかも上から目線を我慢して読むことになり「偉そうだ」という話になる。少子高齢化社会、まだまだ俺は41歳で社会には目上の方もいる。だが、書くのは世の中に出ている情報よりも自分のほうが正しいと考えていることを伝えるためだ。

マジックザギャザリングの大半は俺は運だと言ってきた。そういう人は多い。それはゲーム中の意思決定が公開されていない手札と同じように公開されていない自分の山札から引いてくるカード、相手が山札から引くカードによってある時に決めた手が最善だったかどうかは後に続くゲームを終えてみるまで分かり得ないからである。

だが、それでも運を掴む人つまり強い人。これは論理的には運の強い人を指す言葉になってしまうのだが、成功者の言葉にバイアスがかかっていると避難をする人はいても失敗者の言葉にはバイアスが全く掛かっていないかと言うと、そうでもないと俺は考える。成功する人にはある程度の運はあるにせよ、それを掴むために多くの努力をしている。それをせずに論理の矛盾点のみを指摘して正論を打ち立てても、成功者の言葉の中で正しい部分を抜き出して余すこと無く語れているというわけではない。

もちろん、正論ばかり並べ立てるというのは非難的に使われるが、正しいから正論なのであって正論自体は論破しようとしなくて良い。当たり前過ぎて語られていないことの中に成功の秘訣が有り、本ばかりで勉強していると誰しもが当たり前だと思って書いていないことを学べないから、代わりに俺が書いてやろうという話なのだ。

ゲームが売れ始めた当時、文字の攻略本は手にできても画集などはそもそも売り物として出してもらえなかった。そうやって商売している側は勝ち方など分かっているのである。自分の良いものは売らずにつまらないものを売りつけることが商売なのだ。輸入物を大量に買い付け、良いものを取り上げていらないものを捨てる代わりにモノの行き届いていない地域に卸売する。

そんなところに生まれ育って自分たちが何をされたか分かった頃にはもう良い年になってしまっているのだ。成功者バイアスのかかった本、というのも売りに出された悪書かもしれない。それでも、俺は読んだ。読んで考えて、やがてブログを書くようになったんだ。

まず、マジックザギャザリングならテクニカルガイドとディープマジックは読むべきである。カードが古すぎてデッキコピーには使えないが、巻末に文字だけでカードの効果が書かれた索引があるので頭の中に名前と効果を詰め込んで疑似デュエル出来る。

それには60枚のデッキを繰ったらどうなるかという想像力が必要になってくる。これらが先天的なものか受験で勉強すれば鍛えられるかは俺は知らないが、少なくとも勝っている人間で相手の手札や自分の山札を想像できないというプレイヤーはいない。

ただし例外はある。引いた札を唱えるだけの赤単焼殺デッキや手順を覚えて繰り出すだけで勝てるコンボデッキは読み合いを必要としない。そのため、それらのデッキのロジックは赤単の場合スライがマナカーブ、コンボの場合はデッキビルダーがシナジー理論を完全に文書化していて、読めば誰でも出来るようになる。

ではそうでないデュエルは運で決まってロジックがないのかと言うと、必要十分と言える知識量に達するために、絵を見るだけで各セットの(400x3)+(200+200)x2=2000種の中から要警戒の100種くらいのカードの効果を分かる必要がある。

ディープマジックには10種ほどのサンプルデッキがある。60枚中土地20枚スペル40枚10種4枚ずつだとするとおおよその要警戒カードは100種ほどはある。

基本的に100種の中から相手の色で5分の1から5分の2の20種から40種、その中で立っている土地からインスタントで唱えられる5種類くらいのカードを読む。5CGが強かったのは本当に相手が数十種のカードを読まねばならない点であり、いくら強いからと言ってパーマネントに5色を割り振ったものは結果として負けている。

俺は最初の頃、よく長考していた。長すぎると相手が怒ることもあったし、1デュエルの制限時間が50分なので制限時間超過は引き分けとなりトーナメント進行に影響が出るので行き過ぎた長考はルール違反になったこともある。どうしてそんなに考えていたかというと、カードを文章で覚えてきたからだ。いつも何を考えているのか問われた。

それが近頃になってDSの遊戯王をやっていると、マジックザギャザリングの世界では見たこともない過去の禁止カードと似たような働きをする罠や魔法を使うことで、まるでマジックザギャザリングの「ジ・アビス」や「タイムツイスター」などを手に持って使ってみたかのように体験できた。そうすると思考が文章的なものから絵的で直感的となり、もっとスイスイとカードの効果やデュエルの成り行きを想像できるようになった。

この経験でマジックザギャザリングを現役でやっていた時に詰められなかったあと一歩のロジックが詰めれるようになった。

これはいよいよ文章化されていない手札の読み合いを加味してプレイングについて自分の知見を文章に起こせるぞと思った。

それはよくよく思い返すと古書ディープマジックとテクニカルガイドに載っていたことなのだ。文章だけでは理解できても直感的思考には昇華しにくいというのが自分の話になる。もし順序が逆なら、つまり古典が現在であったときから実物のカードでプレイしてそれからディープマジックを読めば、もっと早く今の頭になっていたかもしれない。