貧民のロジック「ブルジョワジーとプロレタリア」

小学校の社会科で江戸時代の士農工商封建制を学び、高校くらいでインドのカースト制度などを学び、そして大学を出て就職活動すると自身をプロレタリアだと思い込みブルジョワジーを攻撃する。これ、小学校から進歩してないよね。

社会には階級が有り、自分が辛いのは身分が低いからで、それから脱するためには自分が上流階級だと見做した人間を攻撃する。そういうロジックの人は結構いると思う。

先日もツイッターで昔のテレビドラマ「女王の教室」のひとコマを取り出して動画として貼り付けて特権階級を批判している人に俺は辛坊たまらず自分の考えをぶちかましたが返信はなく、後日に室井佑月が特権階級を攻撃するのは庶民の楽しみだから取り上げないで欲しいという趣旨のツイートをしているのが俺の所に届いてなんだかナーと。

俺は世の中に身分がないとは思わない。確かに生まれ育ちで避けられない境遇の違いはあるだろうと思う。そして自分は自分自身では辛い過去を背負っていると思うときもあるし恵まれていると思うときもある。完全にどちらかに振り切れているわけでなく、色々あるのを自分がどういう気持ちで思い出すかによって考え方は変わるものだ。

まあ、簡単に説明すると超金持ちの育ちでなくとも我々はプロレタリアという言葉が作られた時代よりも遥かに豊かな時代を生きている。資本がなく労働で対価を得るしかないという広義の意味ではプロレタリアでも、その対価がその日暮らしの西成のオッサンというわけでなく充分な衣食住を買うことが出来る。大抵の人はね。多分だけど。

問題はその対価を分不相応に使い切ってしまうからであって、貯金して株でも買えば資産ができるので完全なプロレタリアでなく、個人投資家として資産を持ちながらそれと労働対価をミックスして暮らしていける。また株式投資以外に会社の登記や商店飲食店の出店だって出来るわけだ。

それだけ機会の与えられた世の中で自分がプロレタリアだからブルジョワジーと違って働かないといけないと考えを固定化してしまうのは新しいことを学ぶ気力がないから今まで学校で習ったことで自分の境遇を説明しきって諦めるための言い訳なのである。

それでも俺は大学というのは大したものだと思っている。役に立つことを教えてくれるのは専門学校になるのだが、純粋数学西洋史など日本の生活で役に立たないことを教えてお金を取って組織が成り立っているのだから、相当に騙しのロジックが深い。

本当に庶民を騙しているのは上流階級の人間でなく公務員である学校の先生じゃないかと思う。

俺はフルタイムの就労をしていない自由人だが、それは生活費用がべらぼうに安く朝はパンひとつにコーヒー牛乳、昼はほとんどカップラーメンである。それが働かない秘訣なのでブルジョワジーだと言われるのはお門違いに感じる。どちらかというと確実にプロレタリアに属する会社員時代にランチに寿司やステーキを食って今より贅沢をしていた。決してブルジョワでなく毎日出勤してタイムカードの時間どおり月給をもらって生活しているが、お年寄りから自分たちの若いときより贅沢だと叩かれた。

つまるところは労働のみを資本としたプロレタリアでも給料の使いみちひとつでブルジョワだと叩かれるし、あまり働かないでカップ麺暮らしでも遊んでいると言うだけで何か特権があるブルジョワではないかと勘ぐられて叩かれるのである。収支のバランスの問題だと俺は思っている。

こう説明しても、聞かない人は自分たちはプロレタリアだから貧しく自分が羨む人にはなにかブルジョワの特権があるのだという論理を曲げようとしない。小学校で江戸時代にいちばんの金持ちだった商人は士農工商の中でいちばん身分が低かったということを習ったのを大学でブルジョワジーとプロレタリアの二極分化に書き換えて頭が悪くなったんじゃないかとさえ思ってしまうな。