ファミコンがフェアだと思うのはROMカートリッジだから

子供の頃から親の理屈も先生の理屈もどこかおかしいと思ってた。

だけど機械は違う。いつも決まった仕事をする。

それならば、機械の理屈こそが不変の真実で、すべてをその不変の真実に合わせれば全く合理的な理不尽のない世の中になるのではないかとどこかで考えた。

そこへ来て、書き換え不可であるROMカートリッジでルールの決まったファミコンはそれ以上無いフェアな審判の監視するゲームだと考えた。パソコンやディスクシステムではいけない。機械でルールが書き換えられるからだ。もちろん、ファミコン任天堂くらいの資本力、あるいはROMを焼き付ける機械でもあればルールを変えられる。

しかし、子供の頃には自分がそこまでの権力あるいは実力を得ることは想像しなかった。パソコンのフロッピーの中身を書き換える程度の実力なら小中学生でも持てるというのに、だ。どこかでそれを望み、どこかでそれを拒んだ。

だから俺はROMカートリッジが好きでコレクションしていたが、時代の流れでCDになり、最近ではセガサターンでもファミコンと何ら変わらないように遊ぶのだが、夜中に起き出して台所で煙草を吸うのにLEDに変わった蛍光灯をつけると羽虫が一匹迷ったように飛び始めた。それを見て、自分も太陽光と蛍光灯を間違えたひとりの迷える人間だとどこか思う。ディスプレイに映った格闘家に我が身を移し、戦った映像と記憶が混ざっているのだ。

ゲームのルールは見えない。見えないが、確かに存在する。それを解析したわけでなく、どこかで上手く騙すようにルールと画面や音声がシンクロした機械が作られて、そこから推し量ったルールの中で真実を想像しているのだ。

そう考えると、親や先生もあるいは自らの生きた体験から真実を想像はしているだろう。だが、俺が根本的に間違っているのはあらゆる人が他人にモノを教える時に真実であると自分が想像した物事を誤解なく伝えようとしているのか、相手を都合よく動かすために真実と想像することと異なることを伝えようとしているかということだ。

果たして、真実を探ることはそこまで大切だろうか。俺の親父は子供に嘘を教えるが、同時に働いてか騙してか外から金を取ってきて家の中に貯めてそれで母親に食べ物を勝ってこさせて俺はそれを食うことで育ってきた。あるいはそれは物理のようなシンプルな理屈でなく、生物のような捉えがたきものであり、親のカネを全部盗んで外に飛び出すというようなことをしないで来たわけだから学校の道徳のようでもある。

どうやら、畑の真ん中で暮らすなら小学校の理科でもジャガイモくらいは取れるらしいが、この街の中で暮らすのに大人の嘘はあながち間違いであるとも断じがたい。

とにかく、ファミコンのROMカートリッジに焼かれた情報だけを頼りにメシを取ってくるのは難しいわけだから、俺は自分が知らないことをネットで検索したりするのだが、ネットで検索するというのはディスクに書かれた情報を電話回線を通じてアスキーコードや汎用的な画像技術で投影された写真を自分の画面に出しただけのもの。

子供の頃はROMしか信じられないと思っていた俺にとってコンピュータのディスプレイは太陽のようなものだ。だが、それは太陽ではなくLEDなのである。しかも、そのLEDはネットに関わるありとあらゆる人が偏向しようと思えば出来る不確かな明滅なのだ。

だから、俺はそういうものを頼っても仕方ないと思って時々ファミコンで遊ぶ。それはサターンだったりプレステだったりするのだが、PS4になるとHDDなのでもう全く信用できない。自分の根拠はどこにあったのか、ということを思い出すと俺が真実であると間違いなく伝えられるのは結局の所ファミコンのROMに焼かれたルールだけなのだ。

ストリートファイターIIならほぼほぼ間違いがないと思っている。作った人はグループなので、制作指揮や担当者より総括的に詳しくなっているかもしれない。だがストIII3rdならどうだろう。その頃には担当者にコンタクトを取れるようになっていたが、彼や彼女自身のエゴと俺との仲と最後にカネを入れてプレイする俺の財力と彼等に支払われる給料とその給料などを決める雇用者の思惑などがルールをブレないものにするのを妨げた。既にシステムは改変要求に対応するためにディップスイッチでルールを変更できる仕様になっていた。ストVの頃には俺はカプコンの株式まで個人で保有していた。

それでも、俺はその立場で考えたことは、参加する人同士でフェアな条件を作って、その上で自分も参加者となって勝ちたいということで、勝ちたいというのはフェアの次だったのだ。これだけは俺の気持ちであるから、物理的な真実とは少し違う。

俺だって人間なので、腹が減ったり眠くなったりすると、フェアよりも食事や睡眠が欲求として勝つ。そして俺より権力や財力がある人がゲームを人の能力でなくそれを組み上げる組織の力で勝者を選べるような仕様に捻じ曲げようとされると、抵抗できない。

ファミコンのROMカートリッジくらいなら今なら個人でも作れるが、肥大化するコンピュータシステムは既に俺の望んだ理想郷とは程遠いものだと思っている。

ファミコンのコントローラとゲームプログラムの疑似物理が近いことも今では幻影だったと思えてくるんだ。だけど、それを信じたことが俺の人生の始まりにほとんど近い。

その前となると、幼稚園より前。お母さんから生まれて離乳食を食うくらいから考え直さないと、後戻り出来ないもののような物語なんだ。