「誰か助けて!」から「御知恵を拝借」までが有益だった

ブログという言葉が出来たのはGoogle社のBloggerサービスあたりで、当時は英語に乗り換えてBlogに参加することも考えたが、英語だと3行くらいですんげー時間かかるものが日本語だとスイスイ書けちゃうから日本語圏でゴリ押そうと考えた。

さて、ブログとは何であるかと言うと計画的に発展したものでなく、原初はウェブ日記であった。世界中に張り巡らされるウェブは情報のある拠点同士を結んで情報の流通量を上げて事業を進めるのに役立っていたが、一般市民向けに仕組んで流通が始まった「インターネット」は企業が意図的に用意した情報以外の情報の流通量が少なく、ソフトバンクのヤフーは「どこにアクセスしたら良いか分からないやつ全員とっ捕まえて自社製品の顧客として捕えよう」という作戦であったのだが、交流戦福岡ソフトバンクホークスが優勝するこの時代、ネットの広告効果が中小企業には大きくても大企業にとってはテレビや球団より弱いんじゃないのという立ち位置。その未来を予見したのはソフトバンク社のほうが遥かに先ではあるが、インターネットを手に入れたすぐに俺は「ヤバイこと始まってる」と思ってプロバイダ経由でレンタルしたウェブスペースに日記を書き始めた。ささやかな抵抗だった。

そのささやかな抵抗はやがて大資本にうわかぶせされ、ドリームネットKCNに買収されて俺のブログスペースは無くなって、無料スペースであるはてなに移住、サービスを良くするため2000円分のはてなポイントを買って、ネットが負債になり始めた所で広告収入モデルに方針を変えて2000円分の収益を上げた所で業界自体の貸借対照が個人でゼロになったポイントがありとあらゆる参加者の水平展開でギリギリのバランスで循環しはじめた。

原初、俺は非力で孤独であった。赤子が産声を上げるがごとく唯一の収入源であったゲーセンバイトを辞め、専門学校に入り、先日燃やされた京アニのような優良企業が立ち上がる前の環境が悪いことが事前に知られている制作業界に職人としてひとりでやっていく自信が持てずに、アニメ描いたりポリゴン打ったりする学校の課題の傍らでサボってテキストファイルを開いて駄文を書いては誰が読むとも知れないウェブにアップした。

助けの手は誰からも差し伸べられなかったようで、面白がる人はいた。そして、メールの形ではなく真似して別の人がその人の所で同じように惨状を綴るという不思議なコミュニケーションが始まった。はてなダイアリー時代である。文房具店の2階から下請け企業の制作現場に大学の研究室までプログラムのプの字がつく職場がどんどんウェブで繋がって情報流通性が良くなり、ひとところで研究されて出来上がったほやほやのプログラムがひと晩で日本中に流通した。これらは大企業の研究所よりは遅れていたのかも知れないが、中小の制作現場では欠かせないものとなった。

やがてブラックな職場にも各所から資本が入り、優良企業も出来始める。そこで転職した勝ち組もいれば、相変わらず愚痴をたれているともれなくインディードなどの求人情報に繋がるようにウェブが組み替えられていった。取り立てて困ったことはない。

気がつけば、悩める若者の相談を匿名のツイッター「質問箱」で受けている自分がいるのだ。

とかく最初は「誰か助けて」であったし、隆盛期には毎晩「お知恵を拝借」であった。

だが、技術的な相談でなく、恋愛相談などが届くと、やはり20年経ってもウェブの新人さんはまず他愛のない日常の悩みをコンピュータにぶつけてみるテストから入っているのだなぁということを想像するのである。医者にも付ける薬がないという恋の悩みであるが、人工知能が発達したら付ける薬が開発されるのかなぁ。しない気もするなぁ。