国民ひとりずつから1円取れば1億円てのは多分ちょっと違うくて

保険とか募金とかで国民ひとりずつから1円取れば1億円(1億2000万でもいいけど)

みたいなザックリとした計算がされるのは間違ってて、夫婦子供二人の1世帯が2500万組あって夫から1円ずつ取るのと夫婦で1円ずつ取るのでは世帯あたり1円から2円で倍の開きがあって、1億人から1円ずつ取るならこの単純計算でも世帯4円になるんですよね。

つまり国民ひとり100円とか言っちゃうと世帯400円になって、牛丼くらい食べれちゃう。チャーハンに入れるハム4人分とかにすぐになっちゃうのよね。

あと、宝くじスクラッチ10万円買って11万当たったというTV番組が放送されて後から似たような番組やって10万円買って2万しか当たらなかった、みたいな話もそりゃそうだろうなとは思うんだけど、左に寄って公平分配を求める人が余ったカネをバクチに使うってのも言動に矛盾があるんですよね。言行一致していないというか。

このへん、政治家みたいな仕事するなら考えれば考えるほど良くなるテーマなんですけど、ゲーム産業とかオモチャ産業で考えると、世帯から働いていない子供に対して商売しているから、教育をテーマにして親御さんに訴えるのと純粋に面白い可愛いカッコイイで子供に訴えるのとでは全然違う商売なわけで。

まあ、人は易きに流れるので人よりしんどい仕事を受け持っていれば自然に自分のところにお金が流れてくるって考え方はあると思うんですけど、いかにラクにカネを使わないで同じ結果を得られるかってのを考えてたら、収入が同じでも生活が豊かになりますよね。そのへん、男性出稼ぎ型社会の頃に専業主婦が培った生活の知恵みたいなところに新しい小銭ビジネスのアイデアが転がっているんだなと思うんですよ。

昔ならご近所にタダで分け合った教えあったことが写真や動画や文章になって有料化される。このビジネス、本当に社会を豊かにしているんですかね。有料になった情報を受け取るのは有料ゆえに困った貧乏人でなく満たされた金持ちだったりするので。

ゲーム攻略ブログなんて始めっから、カネがないからネットしてるパソコン持ってるけどそれを使ってお金稼げない人に有料のパソコンゲームを遊び尽くして暇してる俺がせめて情報を無償化すれば負担減にならないかと画策するも、違法行為のゲームデータアップロードやダウンロードのほうが個人の利得になって、子供にゲーム機を買わされる貧乏人とパソコンでタダでゲームをする金持ちという構図にいつの間にか変わっていて。

俺はもともと友達付き合いみたいな小さな輪で括られると「おまえんち金持ちやからいいやん」で常に損を買わされるキャラだったし、いじめられているとまでは言わないもののお金を出す係に甘んじて、甘え慣れて払い慣れて努力や勉強の面で足りていない部分があるんですよね。中学受験で社会科の受験科目がない私学を選んだ時点で子供の頃から人生どこかゆるい道を行ってるんですよ、偏差値が高いから頑張って勉強して偉い学校に行ったと周りに載せられながら、嫌な勉強から逃げた部分もあって。

まあ、それで今から苦手の社会科を埋めると何か変わるのかというと、最初に出したように国民ひとりずつから1円取ったら1億円から、世帯1円で2500万円というのは案外現実的で、今の収入を上げるのにどこからお金を取ってくるのかという計算が社会的な統計に即した数字にどんどん近づいているんです。

どうやってお金を稼ぐか考えつつも、貯金箱を開けてみたり、冷凍庫から昔買って放ってあったアイスを出して食ったり、今ある資産を100万円の株式運用にしてコンビニで300円のざるそば買うとかじゃなくて、どうにかして88円のカップ焼きそばを冷やす理科テクニックは無いか、みたいなことを考えて支出を地道に減らしていけば、将来の不安がやわらいで今やるべきことが見えてくるんです。

いや普通に焼きそば作って湯を捨てて水入れてもう1回捨てれば冷えそうだけど。

そうやって支出を減らした上でまだ暇が余ってたら運用も考えたらもっと良くなるんでしょうか。インスタントにひと手間加えるよりコンビニで買ったほうが早いっての、サラリーマン時代に月給を時給に直して考えてみて、コンビニまでの移動時間や調理時間とかを計算した結果、残業して外食するほうが得という計算になったから外食やコンビニに行く癖がついたんですよね。これは計算というより頑張らないことへの言い訳みたいなもので、残業して自炊もすればもっとカネは貯まるわけで。

頑張り過ぎを休めるためにお疲れさんの意味で自分へご褒美とかねぎらいを買うってのはまあ筋の通る話だけど、それでパソコン仕事以外全部面倒だからカネで解決しようとしてきたそのツケは機械学習とかで変化した業界に食らいついていくために常に新しいことへの勉強が必要だと仮定すると、働きながら身につけるのでなく今やっている仕事と将来やる仕事が別種になって働きながら勉強も別にして仕事を続けているつもりが実質的に別の仕事になって時間外労働が増えていると捉えると時給換算は実はそんなに良くないってのが現実かなと。

まあ、敢えて言うなら勉強して試算した結果に基づいて人生設計したわけでなく、どんぶり勘定でもっと儲かりそうな隣の芝は青いで言ってみた先で収入が4分の1になって自分の何が間違っていたか綿密に勉強し直すと1人あたりと世帯あたりの勘定を間違っていたんだろうなと反省したってわけです。

さらに言うとサラリーマン時代にもらっていた給料は嫁と子供を食わす前提で計算して支給されたものだから、それを違う使い方をして世の中をハチャメチャにして面白がったというのが反社会的と見做されても仕方なかったのかなと。

そのへん、サラリーマンの収入を倍にしたら結婚資金が出来るという考え方と自営業の結婚したら収入が倍になるという考え方のどちらが自分の現実に即しているのか。そのへんも今一度考え直すべきかなと。結婚に踏み切れないのって恋愛のいろは以外に女は俺の給料を半分以上かっさらう、みたいな俺の思い込みが踏ん切りをつけられない要因になってる。

黙ってジャガーに付いてこいと言い切れない俺の稼ぎの不甲斐なさが先にくる。

この嫁なら倍頑張れると思えたアイドルの結婚の噂がツイッターに流れて、その後に釈由美子のノーギャラマンホールによってすぐに上書きされて何を思う。芸能ゴシップがなんとなく別世界の話でなく自分の現実に対する暗喩のように思えたり、それはそれが俺個人の問題でなく、俺をひとりサンプリングしても当てはまるよくある現実としてのゴシップだからそう感じるのかなぁ。