夕日新聞

なんとなく19歳くらいで読んだ太宰治人間失格から、堕落へのあこがれがあった。

その一方で、堕落の途を歩んだ先人の経験から、自分はそうならないようにとも。

夏の暑さにうなされ、真面目にきぐるみを着て働いていた人が熱中症で亡くなり、部屋でエアコンを効かせてテレビを見ていた俺は生き残っている。多分何かの間違いだ。

俺はいつもどこかで真面目に頑張るよりラクで良い道が無いか探している。

それでも、ふと生きるのが辛くなり、電話で女を呼んで酒を普段以上に飲んで、死んでしまうよりは堕落の途へ行くほうがマシだろうとその時は思った。

酔いが冷めてやはり夏の暑さにうなされ、小銭入れを持ってコンビニに行き、パンとカフェオレとチョコミントアイスを買って、帰り際ふと便意が来てスーパーにコンビニの袋を持ったまま入って用を足していたら突然に腰痛が来て、腰をかがめて紙で拭くのも辛くなり、モタモタしていると万引き防止のトイレのブザーが鳴り、しかし誰も来ないので何とかその場をしのいで立ち去る。

腰が痛いまま少し周りが溶けたチョコミントアイスを食べ、パンを食べてカフェオレを飲む。冷蔵庫にはもっと酔いたいと思って買った色物のチューハイ類の缶が残っているが、酒浸りになれるというのにもある程度の健康は必要だなと思う。

いよいよ安楽死を求めたい心境と、腰が治って健康体でいれば当面死ななければならない事情など何もないことも思い出す。死にたいときというのは、目の前に良いことも辛いことも含めて起伏のない状態なのだ。

田舎町には飛び降りるほどの高いビルなんかもあまり無いわけだが、医療テナントの入ったビルなんかから飛び降りたら、内臓が破けたり首の骨を折っても救急で運ばれて助かってしまったりするとその後の人生がさらに辛いだろうなと思ってしまう。

なかなか、ラクには成れないなぁと思っていると、暴飲暴食で弱ったカラダが少しだけ回復して、別の意味で楽になってくる。あと何回、何百回、何千回、同じことを繰り返すだろうか。

このまま調子が良くなれば、晩にはまた酒を飲んで眠りにつくのだろうな。