シーケンシャルになっている頭を俯瞰的に見る作業

格闘ゲームの攻略って、とりわけ対人対戦はメタ認知行動の繰り返しだと思う。

読み合いに確定はなく確固としてこうこうこうだからこうであるとは言い辛い。

しかし、ストリートファイターIIの基本的な攻略はしゃがみ中キックで歩いてくる敵を追い払っていると時々コンピュータがジャンプするのでそれをしゃがみ強パンチのアッパーで落とす、あるいは昇竜拳で落とす。しゃがみアッパーは高低差や距離で相手のジャンプキックと相打ちになることがあるが昇竜拳なら無敵で確実に落とせる。

まずこれがある。

そうすると、コンピュータ戦で中足払いを覚えた人相手に「中足払いのギリギリ当たらない距離で空振りさせて大足払いを入れる」という攻略や、昇龍拳が出せずしゃがみアッパーで対空する人に「春麗のジャンプ中キックで飛び込んでしゃがみアッパーを潰す」というような、段階的な攻略の進化はあるんだよな。

そこらへん、ゲーメスト誌では段階的にボタンを押す程度の操作から毎月順を追って読んだら強くなるように攻略記事が組まれていたが、読んだら強くなるというよりは最初に読まされたことが将棋でいうと定性的なロジックの4ビットマイコンの将棋に対する必勝棋譜で、その棋譜を覚え込むことからだんだんと将棋の手筋に変化して初段を目指すというような読み物としては初心者に面白く、しかしそれを生業にすることを目指すような人が現れることまで考えると子供だましの罠だったと思うのね。

同じ雑誌でも電波新聞社マイコンベーシックマガジンでは「波動拳でジャンプさせて昇竜拳昇竜拳でダウンを奪ったら起き上がりにジャンプ強キックで飛び込みガードされたら歩いて背負投」ということが簡潔に書かれていた。

では全面的にマイコンベーシックマガジンのほうが勝っているかというと、ベーマガではあっさり終わったストIIの攻略はゲーメスト誌では何年にも及び、商業誌ではトップレベルのマニアックな情報も散見された。対してベーマガ格闘ゲーム攻略を別冊としてオールアバウトシリーズとして発売と同時に特集した。

いくら考えてもゲームの中に波動拳を打つか飛び込むか待つかという弾ジャンケンと飛び込みをガードした後など投げるか投げ返しを読んで無敵技や引き下段で投げ返し潰しをするか、というロジック的な堂々巡りがあって、例えば最初からサイコロ目や洗牌でランダム性を与えた麻雀で遊ぶか、人為でジャンケンを起こせるストIIで遊ぶか、とかく運で勝ったり負けたりがあるので実力がはかりづらく、金銭目的で勝敗をコントロールして遊ばせる人間と遊ぶのにはゲーム代が必要であると認識して払い続ける人間で大きな差があったことは否定できない。

常勝無敗を目指しているのにどうして負けることがあるのか、俺はよく不思議だったがコンピュータ戦をクリアできるレベルになると12キャラ倒して100円なので、10連勝で負けるのとクリアされるのでは片側のインカムはほとんど変わらない。

100連勝くらいしてみたいと技を練習して、慎重に丁寧に取り組んでいるつもりでも、10回に1回でも勝てたらそれで良いと乱暴に博打に出られるとそれは到底読み切れるものでなく。

結局その中で自分の側で出来た攻略というのは負けた以上は相手が乱暴に博打を打っているのではなく自分の手が読まれたと考えて、自分の中に固定ロジック化している癖がないか見つけてそれを悟られないようにあらためるということを繰り返す格好となった。

そしてとりわけヴァンパイアハンターの稼働時期にはもう町中の人から放って置かれていた。今でも、時々思い出しては少しの間考える。

相手がいるうちは相手の癖に自分を合わせることを考えてしまう。それは裏返すと弱い手を打つ相手にぬるま湯に漬け込まれて弱められることにもなり得るから、強い相手が本気で勝ちに来てくれるのに対して全力で対抗できるというある種苦しく、しかしある意味では美味しいシチュエーションになることはもう人生で数えるほどしか無い。

しかし、ひとりで考えている時はいちばん本気である。何をどう考えるかも常に考えている。実際ゲームに向き合うこともプレステやパソコンでもやらないし、ゲーセンにも行かない。それでも考え続けると、まだ確実に良くなる部分は見つかる。

俺の人生のあるポイントでは格闘ゲームは人生のすべてのように思えた。しかし、今では数ある楽しみのひとつであるし、駆け引きは人生を投影するものではなく100円を賭けて相手と出しての差を占い合う遊びのようなものである。昔より読みやすくなったと言われる。俺は、続けて競っている人が無駄すぎる死に手を打つことが減ったように感じるだけで、自分は衰えているとも進んでいるとも感じない。

負けた時に怒りがこみ上げるようなことも無くなった。摂理として、負けは当然にいつか起こり得ると覚悟して臨んでいる。大会とかがあって、久しぶりだからおいでよと誘われると「勝たしてもらえるのかな?」という甘い期待を抱いて足を運んだが、負かされて裏切られた気分にしかならなかった。昔は四面楚歌でも全ての敵を欺ききって自分が勝てるというような幻想を抱いて勝負に臨んでいた。

しかし、参加費の総量より賞金の額のほうが低いような催しは結局の所集めている親が儲けるためのものであるから、期待値的に参加しないで貯金するほうが有利と踏んで放って起き続けていると、どうやら廃れてきたようである。

契約社員としてのプログラマーの仕事なら、義理で簡単な仕事を頼まれることも無いわけではないが、原則として事前に金額を決めてからしか取り掛からない。

こと、請負業と負けの字がつくので勝負師としてはプログラマーの仕事はゲンが悪くしてはいけないのではないかと考えたこともあった。今でも、ゲームで勝つのとプログラムを組んでお金をもらって、そのお金でゲーム以外の趣味を探すのかは100万円くらいの単位で天秤にかけている。

だが、間違っても100万円全部ゲーム大会への参加を1万回施行するというようなことには使わない。もうちょっと確実なやり方がないか、ゲームを考える以上に時間を使って考えるべきだろうな。